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闇文庫

主に寝取られ物を集めた、個人文庫です。

贖罪 第2回

【#02 疑惑】
「それって、マルチ商法じゃん」
 出張二日目。接待の席で、得意先の担当者に「こんな知り合いがいるんですが……」という調子で例のメールのことを切り出したところ、この言葉が返ってきた。
 大手洗剤メーカーの広報部長の彼は公正取引委員会との付き合いも長く、マルチ商法からネズミ講に関する知識は半端なものではなかった。
 現在、ネズミ講や悪質なマルチ商法は法規制により全滅してはいるものの、法の網を巧みにくぐりぬけたマルチまがい商法は後を絶たないらしい。
「『商品を信じること。頑張れ、頑張れ』ってのは、下の者にハッパかけるときの常套句さ。被害者が加害者に化ける恐ろしい世界だ。その知り合いには近づかないほうがいいよ。ヤケドどころじゃすまなくなるから」
 ホテルに帰り着いたときには、午後十一時を回っていた。自宅の妻は、まだ起きている時間だ。
 だが、耳に押し当てた携帯電話からは空しい呼び出し音が続くだけだった。
 もし寝ていたとしても、私の職業柄、寝室にも電話を置いているので目を醒まさないはずはない。
 スモールランプだけが灯るマンションの部屋を思い浮かべたとたん、私の中で疑惑が現実的なものになりつつあった。新事業が忙しいのか? いや、そもそも自宅でできるという魅力にひかれてSOHOなるものを始めたのではなかったか。なぜ、家にいないんだ?
 翌日正午。業務を消化した私は、東京駅に向かいながら自宅に電話した。
 妻はすぐに出た。どんな微妙な口調の変化も聞き逃すまいと携帯電話を耳に押し当てたが、いつもと変わらぬ妻の声だった。私の質問に先んじて、昨夜は気分が悪かったから電話の呼び出し音はすべてオフにしていたと言った。
 出張があと二日延びたこと、接待が続くから電話はできないことを伝えて電話を切った。もちろん嘘だ。にわか探偵として、週末まで妻の張り込みをするつもりだった。といっても、会社に通いながらだから、限られた時間しか私には許されていない。
 報告書を書き終え、交通費等の伝票を経理に渡して会社を出ると、すでに午後七時前だった。レンタカーを借りて自宅に向かった。
 マンションはなだらかな丘陵の斜面に建っている。風致地区のため、高さも三階建てだ。自宅は二階。近づくと、クルマの中からでも室内の人影が判別できる。
 初夏の宵闇の中、意外にも、自宅のリビングから蛍光灯の光が洩れていた。私は、胸に温かいものが満ちるのを感じた。すべては私の狭量さから生じた疑惑だったのだ。あのメールに関しても、主婦同士の内緒のおしゃべりの域を出ないものなのだろう。マルチ商法にしても、私の思い込みだったのだろう。
(馬鹿だった。おれは大馬鹿者だ)
 妻に猛アタックしたあの日、結婚式、新婚旅行、妻と過ごした十一年の歳月……。愛おしい一シーン、一シーンがよみがえった。
 レンタカーを最寄りの営業所に返して自宅に帰ろうと思った。出張が予定どおり終わった件は、何とでも理由がつけられる。
 勇んでエンジンキイを回そうとした私の手が止まった。
 ベランダに妻が現れたのだった。
 黒のビスチェに同色のチョーカー。短めの髪はジェルかムースでぴっちりと固められている。片手にはタンブラーらしきグラス。
 それが自宅のベランダでなかったら、パーティの一コマと見間違うほど、妻の顔と身のこなしはよそ行きのものだった。
 妻が室内を振り向き、何事かしゃべっている。
 客か? SOHO仲間が集まっているのかもしれない。主婦ばかりのホームパーティのまっただ中に帰っていくのはぞっとしない。
 妻の背後に人影が立った。
 私は息をのんだ。男が現れ、妻のむき出しの両肩に手をかけたのだ。男は四十年輩。見たこともない顔だ。深紅のポロシャツに白っぽいジャケット。首には金色の太いチェーンが見て取れる。
 妻がこちらに視線を向けた。この距離で暗い車内に座る私の顔がわかろうはずはなかったが、私は反射的に顔を伏せた。
 顔を上げたときには、すでにベランダから妻と男は消えていた。
 すぐに窓が閉じられ、カーテンが引かれた。
 さきほどまでの温かい気持と良心の痛みは霧消していた。私が目撃したのは不倫の現場に違いなかった。ホームパーティなどでは決してない。私の不在をいいことに、妻は男を自宅に引き込んでいたのだ。
 私は深呼吸して息を整えてから携帯電話をプッシュした。
『はい、逆瀬川ですが』妻の声。固さがにじんでいる。
「おれやけど、ちょっと時間ができたから。気分はどないや?」
『もう、だいじょうぶ。心配かけてごめんね。明日、帰れるん?」
「ああ。最終の新幹線や。それまで羽伸ばしたらええよ」
『あなたがいないと退屈やわ』
 心のこもらない、上滑りの言葉。それだけ聞けば十分だ。私は、おやすみを言って電話を切った。
 男と外出するという可能性に気づいた私は、マンションの前にクルマを停めて見張った。この事態に対するさまざまな感情がわき起こるのを辛うじて押さえつけた。今は、感情にまかせて暴走するときではない。営業という職業柄、感情をコントロールする術は身につけている。
 午後十時。クルマを移動してからすでに二時間以上経っていた。妻が出かけた様子はなかった。三十三歳の主婦と四十男が二人きりでマンションの一室にいれば、することは一つだ。
 意を決して、クルマを降りた。
 暗証番号を押してエントランスに入る。近所の顔見知りと出くわすのを避けて階段を使う。自宅の玄関ドアの前に立ったが、戸内の気配はまったく窺えない。キイホルダーを取り出し、ひとつ大きく息を吸い込んで鍵穴にキイを押し込んだ。細心の注意をはらってキイを回す。ドアを開けた瞬間、修羅場が始まる。私は腹に力を入れてドアを引いた。
 エアコンの冷気が流れ出してきた。三和土には、男物の革靴が揃えられている。あの四十男には似合いそうもない白いウイングチップ。
 ぼそぼそとしゃべる声を聞いたような気がした。間違いない。男が一人で話しているようだ。妻の嬌声を耳にするものとばかり思っていた私は、ふたたび甘い連想にすがろうとした。やはり男は、妻のSOHO仲間なのだ。ビギナーの妻に商売のコツを教えにきてくれただけだ、と。
 だが、私の心の深い部分では、疑惑は強まるばかりだった。靴を履いたまま、上がり框を踏んだ。リビングは廊下を突き当たって右。音を立てずに進んだ。リビングのドアは全面ガラスになっている。薄いグレーに彩色されたガラスを透かして室内が見えた。
 部屋のコーナーに配したソファに、全裸の男がふんぞり返っていた。妻の姿を探して部屋をさまよった私の視線が、男の股間でうごめく黒い影に吸い寄せられた。
 ちょうどテーブルが妻の姿を遮っていたのだ。白い体が床に跪き、男の股間に顔を埋めていた。一心不乱に上下する後頭部しか、ここからは見えない。男が言った。
「もうぼちぼちディーラー卒業やな。奥さんの情熱には、頭が下がるで。ふつう、マネージャーへの昇格は、早くとも入会後半年はかかるもんや。そないに焦らんかて……」
 快楽のツボを刺激されたのか、男は太い吐息を洩らしながら天井を仰いだ。
 妻の頭が男の性器から離れた。妻の甘えた声が私の耳を打った。
「Fさん、いつマネージャーにしてもらえるんですか」
(あいつが、Tからのメールに出てきたFか!)
「そうやな。来週早々ちゅうとこやな。奥さんの頑張りはエリアマネージャーにもしっかり伝えてあるから、大船に乗った気でおったらええ」
 返事の代わりに、妻は立ち上がった。
 蛍光灯の光に白く浮かぶ妻の肩、くびれた腰、双臀には淫らがましさがまつわりついていた。この二時間あまりの間に、Fと何度情を交わしたのだろうか。いや、あのメールを見つけた日にもホテルでFと交わっていたはずだ。ショーツを記念品代わりにFに奪われたに違いないあの夜に。昨夜もきっとFと……。
 本来なら、怒声を上げながら室内に踏み込むべきなのだろうが、私にはできなかった。痛いほどの勃起が、夏物の薄いスラックスを突き上げていたのだ。成り行きを見守ってからでも遅くはない、と私の中でささやく別の声があった。
 妻はFをソファに腹這いにさせた。Fはにやにやしながら膝立ちになり、尻を掲げた。その尻を妻が両手が割り、中心部に口を寄せた。Fが女のような声で呻いた。
 体側から見るFの肉体は堅太りだが要所に筋肉がついている。揃えた太腿と腹がつくる三角形の空間に揺れる男根のシルエットが見えた。今しがたまで妻の口腔を犯していた勃起は、太く長く猛々しかった。妻にアナルを責められるたびに重たげな肉塊がびくっ、びくっと跳ねる。
 Fの尻を責めながら、妻は腕を伸ばし、勃起を掴んでゆるゆるとしごきはじめた。Fの甲高い呻き声に遠慮はなかった。
「奥さん、いいよお、いいよお。旦那に……ずいぶん仕込まれたんとちゃうか。なんべんされても……天国やで。もっと速くしごいてえな……ああ、そやそや、その調子や」
(おれがいつアナル舐めなんかさせた?)
 リビングのドアは、日常と非日常を隔てる結界のようだった。向こう側で男の尻を舐める妻は、姿形こそ妻だが、これまでの妻ではない。いや、少なくとも私と接してきた妻ではない。マネージャーとやらに昇格するためなら男に体を開き、積極的に男に奉仕することも厭わない、見知らぬ女だ。
 やがて妻はFを仰向けにすると、獰猛な勃起に唇をかぶせていった。唾液が口のまわりをてらてらと光らせ、顎にまで流れ出すのもかまわず、口腔による奉仕が続いた。聞くにたえない下品な音がガラス越しに聞こえてくる。
「おっと、そこまでや」
 Fはあわてて身を起こした。口を男根の太さに半開きにした妻を軽々と抱えると、寝室に消えた。
 私は、股間に生暖かいものを感じて我に返った。スラックスの中で射精してしまったのだ。それでも、私の性器は硬度を失わずにいた。
 寝室で繰り広げられているであろう痴態を観察したかったが、これ以上、深追いすべきではない。懸命に思いとどまった私は、後ろ髪を引かれる思いで玄関にとって返し、戸外に出た。
 熱帯夜を告げる重く熱い夜気が、私を包んだ。

 また長々と書いてしまい、申し訳ありません。書きながら、三年前のあの夜が鮮明に浮かび上がってまいりました。記憶の底に封印し、風化したはずの記憶がそっくり残っていることに、我ながら驚いています。
 では、また後日、続きを書かせていただきます。おやすみなさい。
  1. 2014/07/30(水) 06:06:44|
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