主に寝取られ物を集めた、個人文庫です。
私はこれから妻について語ろうと思う。正確にいえば、元・妻である。彼女――月子は2年と少し前に家を出て、私たちの夫婦関係は終焉を迎えた。 決定的な破局の訪れる以前から、私たちの仲は危うかった。 きっかけは私たちの一粒種であった息子、猛資の死である。 今も私の心に深い傷を残すその出来事を語る前に、まずは私自身と月子について、もう少し説明を加える必要があるだろう。 私は藤島厚夫という。千葉県銚子市の生まれで今年43歳。長く出版社で編集の仕事に携わっていたが、30代の半ばから小説の筆を取り、現在は専業作家としてどうにか暮らしている。月子は私より2つ下だから、今年41歳を迎えるはずである。 月子との出会いは20数年前に遡る。当時の私はある出版社に就職し、駆け出しの編集者として働き始めたばかりの、まだ顔に幼さの残る若造だった。 最初に月子と巡り会ったのは5月のある日だった。よく覚えているのはその日、仕事上で一悶着があったことだ。その少し前、さる著述家に雑誌の原稿を依頼していたのだが、連絡の食い違いで、こちらの意図と異なる文章が仕上がってきたのである。私はその著述家の家を訪ねて、不機嫌な顔をした彼に平謝りし、何とか原稿の書き直しに応じてもらった。 とりあえず問題は解決したものの、こちらもまだ分別のつかない若造のことだから、「何だい。俺の話を向こうがきちんと聞いていなかっただけじゃないか」と不貞腐れる気持ちがあった。 くさくさした気持ちで最寄り駅へ向かう途中の道、ふと小さな画廊が目に入った。自分では絵など一つも描いたことがないくせに、私は昔から絵画を見るのが好きだった。むしゃくしゃした心をわずかでも静めようと、こすい考えで、店内に飛び込んだ。 画廊では、M美術大の学生有志による展示会が開催中らしかった。油彩、水彩、彫刻、何が何やら分からぬ現代アートまで、よくもわるくも学生らしい熱気に満ちた展示物の数々は、芸術的感興によって心の平穏を得ようという俗な目的にはそぐわぬものであったが、面白いことは面白かった。が、それ以上に、受付にぽつねんと座っていた女性が気になった。 若造だった私よりその女はまだ若かった。受付に座っている以上、まずM美大の学生であろうことは間違いない。 白色の質素なサマーセーターに、これまた地味な黒のスカートで膝まで隠していた。ぱっと見、非常に細作りの身体つきをしていたが、セーターの胸の部分は目を引くほど盛り上がっている。 癖の少ない、さらりとした黒髪。切れの深い大きな目に鋭い印象がある。肌が蒼いほど白く、時刻は昼間だというのに、彼女の周囲にだけは月の光が降り注いでいるような、妙な雰囲気を漂わせていた。 これが月子との出会いであった。 その日、私が何と言って彼女に話しかけたのかはよく覚えていない。もしかしたら、何も話し掛けなかったかもしれない。とはいえ、3日後の休日に私は再びその画廊を訪れているのだから、彼女によほど心を惹かれ、どうにかして知り合いたいと思っていたのは間違いない。 ただし、3日後のその日、月子は画廊にいなかった。私は受付にいた男子学生から彼女の名前と、次に受付を担当する日を聞き出し、三度目の来訪をすることにした。 私の尋問にあった男子学生は、さっそく仲間うちにそのニュースを広めたらしく、ようやくデートに漕ぎつけたあとで、月子からぼそりと文句を言われた。『あれからずいぶん迷惑したのよ』と。 話をするようになってみると、月子はその容貌から漂わせていた印象どおり、若さに似合わぬ落ち着いた話し方をする女だった。2歳という年の差、そして社会人と学生という立場の違いもさほど意識することなく、私たちは付き合いを深めていった。 月子は仙台の生まれ。小学校に上がる前に、公務員だった父を亡くしたらしい。母親はまだ幼い月子を連れて、実家のある東京へ戻ったが、数年前に再婚。その再婚相手も前妻と死別しており、月子と同年齢の息子がいた。相手方の家族に遠慮するところがあったのか、母の再婚後も月子ひとりは同居せず、祖父母の元で暮らしていた。 そのような家庭の事情もあって、彼女は年齢より精神的に成熟していたのかもしれない。ただ、私と付き合うようになるまで、男性経験は無かったようだ。という以上に、私と出会う頃までの月子には男嫌いの気があったらしく、それがなぜかといえば、原因は彼女の胸なのである。 あたかもきりきりに冴えた三日月のように、月子の容子にはどこか鋭いものを感じさせるところがあったが、外見においてその印象をただひとつ裏切るのは、服の上からでもハッキリと分かる、豊かな胸のふくらみだった。身体の成長は早かったらしく、中学生の頃からその弾むような胸の大きさは、周囲の男たちから好奇の視線を集めていたようだ。ばかりでなく、実際、痴漢被害に遭うことも多かったという。このような過程を踏んで、月子は男という生き物の獣臭さを感じ取り、意識的に拒絶するようになったらしい。母の再婚後も先方の家族と同居しなかったのは、おそらくは相手方に同年の息子がいたことが主な原因ではないか。 そんなわけなので、彼女は大学でも男嫌いで通っており、だからこそ件の男子学生は大喜びで仲間たちにニュースを広めたのだろう。「どこぞの馬鹿な男が、それと知らず、男嫌いで有名な月子にモーションをかけている」というわけだ。疑問なのはむしろ、私のようなぽっと出の、得体の知れぬ男の誘いに、なぜ彼女が応じたのかということだろう。 『そうね。考えてみると、自分でもよく分からないわ』 後になって、月子は、初対面の時のことを振り返り言った。 『ただ、私も、あの時、画廊にふらりと入ってきたあなたのことは印象に残っていたから』 『変な奴だと思っていたんだろう。なにしろ、僕は美術とも芸術ともまるで縁の無さそうな顔をしている』 『馬鹿なこと言わないの』彼女はくすくすと笑った。その頃にはもうずいぶんと、私たちはうちとけて話すようになっていた。『変なヤツとは思わなかったけど――面白い顔をした人だな、とは思ったわよ』 『平然と非道いことを言うね!』 『非道いことを言ったつもりはないわね』 月子はそれこそ平然と言い返したものである。
2014/11/03(月) 11:05:48 |
月の裏側・久生
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私たちは結婚した。 式を挙げた時、月子はまだ22歳の学生であった。彼女は翌年、都内の中学校で美術教師の職に就いた。しかし、それも1年経つか経たずで休職をすることになる。子供を身ごもったからである。 そして翌年、生まれたのが息子の猛資だった。 若い頃、男嫌いで通っていた月子ではあったが、父親を早くに亡くしたためか、家庭に対する憧れは人一倍だったようだ。まだ学生のうちに私の求婚を受け入れたのは、その表れでもあったろう。そんな彼女は、はじめての我が子を得、その世話に追われることに幸福を感じているようであった(もちろん、私の喜びだって並一通りのものではなかった)。 私たちの愛を一身に受けて、猛資はすくすくと成長したが、大きくなるにつれて、引っ込み思案な性格が顕著になってきた。母に手を引かれ幼稚園に入ってからも、おずおずとしていて、他の子供とうちとけられるまではかなり時間が掛かったようだ。その頃にはもう美術教師の職に復帰していた月子は、幼くして人間関係に不器用な息子のことを、心配げなまなざしで見つめていた。 『あんなにシャイな性格じゃ、この先、世の中をわたっていくのに苦労しそうだわ』 などと先回りして、月子はよくため息をついたものである。 『心配するのが早すぎるよ。猛資はまだ幼児じゃないか。それこそこの先、どんなに性格が変わるかも分からない。ひょっとしたら、すごいドラ息子になるかもしれないよ』 『あら、あなたはあの子にドラ息子になってほしいのかしら』 『そんなことは言っていない。許せるのは、腕白小僧くらいまでだね』 『私はあの子に内気な性格を直してほしい――なんて、まったく思わないのよ。それは猛資の個性だし、いいところでもあるもの。シャイなのはあの子が普通以上に優しいからだわ』 『好意的な解釈をすればね』 『好意的な解釈をするのが親ってものでしょう』 月子は冷たい目で私を見た。首をすくめながら、私は心の中で『母は盲目』とつぶやいた。毅然とした性格は変わらなかったが、若い頃の月子が漂わせていたある種の鋭さはいつの間にか薄まり、彼女は、息子と家庭の幸福を第一として生きる女へと変わっていた。 猛資の成長以外にも変化はあった。私は若い頃から小説が好きで、編集者の仕事をつづけながら、ある時思い立って、小説の執筆を始めた。海外ミステリの影響が色濃い、趣味的なサスペンスだったが、完成品を月子に読ませたところ、『面白いわ。どこかの出版社に送ってみたら?』と勧められた。 私自身、編集者であるし、業界のことはそれなりに分かっているつもりだった。だからこそ、そううまくいくはずがない、とは思ったのだが、原稿を持ち込んで数ヵ月後には、なんと向こうから『本にしたい』と言ってきた。嘘みたいな本当の話である。 以来、私は忙しい仕事のかたわら、小説家を副業とすることになった。月子はとても喜んで、『ほらね。私の勘は鋭いでしょう』と、普段見せないような得意げな顔をした。 『感謝してるよ。君に勧められなければ、とても原稿を出版社に持ち込もうなんて気にはならなかった』 『そのことじゃないわ。いつだったかしら、初対面のあなたを見て「面白い顔をした人だなと思った」という話をしたでしょう』 『ああ、あったね。……すると、何だい。君は、あろうことか初対面の時から、僕の中にある小説家の素質をひそかに見抜いていた――とでも言い出す気なのかい?』 『そこまでは言わないけど』 『言ったようなものじゃないか。呆れたね』 ふざけた会話の応酬をしながら、私たちは笑い合ったものである。 話を戻そう。盲目な愛情を子に注ぐ月子の心配は半分当たっていて、猛資の引っ込み思案はその後も治らなかった。とはいえ、それが原因で損をすることはあっても、いじめられるところまではいかなかったようだから、のんきに構えていた私の態度もある意味正しかったと思う。ひとり息子を中心として、私たちの家庭は、父の楽観と母の悲観とでバランスが取れていたのだ。そう、あの時までは――。 バランスが崩れたのは、猛資が中学2年生となった春のことだった。生まれて以来、私たちの家の中心であり、汲めども尽きぬ幸福と心配の種であった息子。 その猛資が――死んでしまったのだ。
2014/11/03(月) 11:06:49 |
月の裏側・久生
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猛資が死んだ日のことは忘れられない。 日曜日だった。 猛資は中学校で卓球部に所属しており、その日曜日も、練習のため午後から部活へ行っていた。私は書斎にこもって小説を書き、月子は休日になるといつでもそうしていたように、部屋の隅から隅までをぴかぴかと磨き上げる作業に余念がなかった(彼女は掃除狂いといっていいほど清潔好きな性質があった)。 夕方5時近くになり、窓の外が暗くなってきたなと思ったら、雨が降ってきた。 しばらくして、書斎に月子が入ってきた。 『あなた、ちょっと』 『どうした?』 『猛資、傘を持っていかなかったみたいなの。わるいけど、学校まで車で迎えに行ってくれないかしら?』 ちょうどその時、執筆作業が珍しく快調で、本音をいうと返事するのさえおっくうだった私は、妻の言葉に厭な顔をした。 『この程度の雨ぐらいで、車はおおげさじゃないか』 『天気予報を見たけど、これから激しくなるみたいなの』 『友達の傘に入れてもらえばいいだろう。僕も忙しいんだよ』 『……同じ方角に帰る子、いたかしら?』 私の素っ気ない返事を聞いて諦めたのか、月子は携帯を取り出し、猛資に電話をかけた。だが、その日、猛資は携帯を自室に置きっぱなしにしていたらしく、連絡は繋がらなかった。 『仕方ないわ。私が傘を持って学校まで行ってくる。今から出掛けても、練習の終わる時間過ぎちゃうけど』 中学校へは徒歩で30分以上かかる。月子は運転免許を持っていなかった。 『そこまでしなくっていいんじゃないか。たとえズブ濡れで帰ってきたところで、その後、風呂で温まればいい話だろう』 私が言うと、月子はため息をついて『男親ってこれだから…』とつぶやいた。私は私で『女親ってこれだからなあ…』とでも言いたいような気分だった。 月子の過保護な心配は、しかしその日に限っていえば、間近に迫る破局を予感した胸騒ぎのようなものだったかもしれない。 妻が出掛けていった後、私はまた意欲を新たにして小説に取り掛かった。集中して書く時、いつもそうするように、お気に入りの洋楽をヘッドフォンで聞きながら、ひたすらパソコンのキーを打ち叩いた。 そうして、ひとり、夢想の世界に没入していた私だったが、ふと疲れを感じて、顔を上げた。気がつけば、時計の針は6時半を過ぎている。 驚いたことに、月子が出て行ってもう1時間以上過ぎていた。だというのに、月子も、そして猛資も戻ってきていない。 ヘッドフォンを外すと、途端、激しい雨音が窓の外から聞こえてきた。硝子の向こうはもう真性の闇だったが、部屋の明かりの届く範囲は、降水で視界が歪むほどだった。 ふと気付いて携帯を取り上げると、妻からの着信が3度も入っていた。 (――まずいな) そう思った矢先、玄関のドアが開く音がした。出てみると、真っ青な唇をした月子が立っていた。雨に濡れた黒髪がしっとりと光っていた。 『さっきから何度も電話かけていたのよ』 『ごめん、気付かなかったんだ』 『猛資は帰ってない?』 『帰ってないけど……学校では会えなかったのかい?』 『私が着いた時にはもう誰も体育館にいなかったわ。今日は早めに練習を切り上げたのかも』 『それでも…いや、それなら、まだ帰ってこないのはおかしいな』 『おかしいのよ』 珍しく強い調子で答えた妻の言葉には、不安の響きが滲んでいた。 『ともかく、ひどい雨で君も冷えただろう。僕が車で探して来るから、シャワーでも浴びたらどうだ』 『そんな気になれないわ』 『心配しすぎだよ。あいつももう中学2年生だぞ。きっと、友達の家にでも寄っているんだろう』 私は妻を励ましながら、玄関脇に置かれた傘を手に取った。 ドアを開けて外へ出る。陰鬱な雨の降りそそぐ団地は、まだ夜になって間もないというのに、いやにひっそりと静まりかえっていた。 ……この後のことを書くのは、私には辛い。 結論からいうと、その日の夕方5時40分頃、猛資は交通事故に遭っていた。 部活が早めに終了して後、猛資は自宅の方角が近い友達の傘に入って帰ったが、途中でその子と別れてからは、雨宿りもせず走って家を目指したらしい。友達と別れがたかったのか、2人が「さよなら」を言い合った場所は、猛資の普段通る道からずいぶん外れた地点にあった(このために、迎えにいった月子とも会えなかったのだ)。 雨はその頃にはもう本降りで、視界は大変悪くなっていた。濡れ鼠になって道端を走る中学生に、トラックは気付かなかった。――まだ成長しきっていないその身体をはね飛ばすまで。
2014/11/03(月) 11:07:44 |
月の裏側・久生
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猛資の死は、残された私と月子の関係を大きく変えた。 結果論には違いない。だが、もしもあの事故当日、はじめから私が重い腰をあげて猛資の迎えに行っていたら――、私たち夫婦は最愛の息子を失わずに済んだかもしれないのだ。 どうしようもない後悔に私は苛まれた。と同時に、妻もまたそう考え、ひそかに私を責めているのかもしれないという想像が、私の心胆を寒からしめた。 もっとも、月子はその件に関して何も言わなかった。愛息をなくした喪失感は、妻をほとんど鬱状態にまで追いやった。私は勧めて、彼女をカウンセラーのもとに通わせた。 彼女の口数はかぎりなく減って、私といる時も沈黙しがちになった。かつて夫婦の絆の象徴であった猛資という名前を口にすることは、私たちの間でタブーに似たものとなっていった。 タブーはそれだけではなかった。 猛資の死以来、月子は私とのセックスを拒否するようになった。 「拒否するようになった」という結果の前には、「恐れるようになった」という心情が先にくる。セックスという子をなすための生殖行為は、月子にしてみれば、失った息子の記憶とただちに結び付く営みでしかありえなかった。性の快楽によって生きる慰みを得たり、夫妻の絆を確かめたりといったことは、当時の妻にはあまりにも遠い感覚となっていた――ようだ。 こうして私たち夫婦の隔たりは、精神的にも肉体的にも広がっていったのである。 猛資の死から半分鬱状態にあった月子は、勤めていた中学校の美術教師の職も長らく休職していた。そのまま辞めてしまってもおかしくないくらいだったが、同僚の熱心な勧めで、やがて職場復帰することになった。 私もその頃はまだ編集者の仕事と小説家という二足のわらじを履いており、日中は外で働いていた。ひとりで家にいる時間が多いほど、月子は余計に息子のことを思い出し、気分の落ち込みがひどくなるのではないか――そう心配していたから、妻の決断には一応喜んだ。ただし、月子の職場が中学校であり、彼女の教える生徒たちが、死んだ猛資と同じ中学生であることは少なからず気がかりであったが……。 その気がかりは、しかし私の心配した事態とはまったく異なる形で、やがて的中することになる。それを私が知ったのは、月子が姿を消してずいぶんと経ってからのことだった。―― だが、とりあえず今は順を追って、この先の出来事を語り続けることにしよう。 猛資がこの世を去ってから一度目の、新しい春がやってきた。 月子の表情が変わってきたのはその頃のことである。もともと月子はかなりの色白で、昼間でも月光を浴びているかのような雰囲気があったが、息子の死以来、その顔は暗く蒼褪め、生気を欠くようになっていた。それが変わってきたのである。 うつろに宙を彷徨いがちだった目のかがやきが少し戻り、頬の色もこころなしか血色が良い。口調も以前よりはよほど明るくなった。 私はもちろんこの変化を歓迎した。春になり、月子の勤める中学校も新学期を迎えている。新しい入学生や、新学年となった生徒らの若々しい活気にふれて、彼女にも何かしら新鮮な気持ちが芽生えたのかもしれない。このまま良い変化が続くことを私は願った。 しかし――事態は私の願う方向には向かわなかった。 4月が終わり、GWも過ぎて、梅雨の時期を迎えた頃には、月子はまた沈みがちな様子を見せるようになっていた。 『大丈夫かい。最近、疲れているようだけど』 ある夜、食卓に腰掛けてぼんやりと頬杖をついている月子に、私は話しかけた。だが、もの思いに耽る妻には、私の言葉も届いていなかった。 『おい』 『あら、ごめんなさい。ぼうっとしていたわ』 『最近多いよ。疲れが溜まっているんじゃないか』 『ううん。そんなことはないのよ。ただ――』 『ただ?』 『……なんでもないわ。明日の授業のことを考えていただけ』 妻は立ち上がると、洗い物をするために台所へ行った。私はいぶかしく思いながらも、食器を洗う彼女のパンツスーツごしに、若い頃よりずいぶん成熟味を増した臀部を眺めた。 もう長い間、月子との性交渉は途絶えていた。当時40になって間もなかった私の欲望は妻の後ろ姿に疼いたが、その肢体を求めて拒否された記憶はまだ生々しかった。私はため息を一つつくと、小説を書くために書斎へ向かった。―― 猛資の死後、月子に対して遠慮を感じていたこと。結果として、彼女との夜の営みがなくなっていたこと。今振り返ると、これらのことは、妻に起きていた本当の「変化」を私に気付かせなかった原因といえる。とはいえ、それも言い訳に過ぎない。つまるところ、私は、小説家にしては著しく観察力の欠けた人間だったのである。
2014/11/03(月) 11:08:57 |
月の裏側・久生
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その年の梅雨はことに降水が多く、雨はほとんど毎日のように街を濡らした。 私は雨が嫌いだ。息子の死んだ日の出来事が自然と思い出されるからだ。 月子も同じに違いないと思う。彼女と一緒にいた間、それを確かめたことはなかったけれど。 ――話を戻そう。 6月のある日のことである。その日も雨だった。月子が遠慮がちな口調で『ジムに通いたい』と言い出した。 元・美大生の月子は筋金入りの文化系といってよい。結婚する前も後も、彼女が好んでスポーツをするところなど見たことはなかった。年相応の成熟味も出てきたとはいえ、痩せ形の体型は昔とほとんど変わらず、ダイエットが目的とは思えない。私が怪訝な表情をすると、 『新しいことをしてみたくなったの』 彼女はぽつりと言った。 4月以降、一時期は明るさを取り戻しかけていたが、このところは再び塞ぎ込んだ表情を見せることが多くなっていた。そんな折だったから、私は良い兆候だと思い、簡単に賛成した。 やがて、月子は最寄駅近くにあるスポーツジムへ入会の手続きに行った。通うのは週の月・木曜と決め、その日は勤め帰りに中学校から直接ジムへ向かうという。 『ひょっとしたら、私の帰宅があなたの帰る時刻より遅くなるかもしれない。朝のうちに夕御飯の用意はしておくつもりだから、私の戻りが遅い時は、わるいけれども、それを温め直して食べてくれる?』 すまなそうな顔をする月子に、私は『了解。僕のことは気にしないでいいから』と笑ってみせた。 * * * * * 月子の帰宅時間は夜7時前が普通で、一方の私はといえば、おおよその場合、8時少し過ぎには会社から戻る。それがジム通いを始めて以降、月子があらかじめ示した懸念は現実のものとなった。月・木曜日にかぎって、彼女の帰宅は9時過ぎ、時によってはもっと遅くなる日も出てきた。 一度決意したことはやり抜く。妻の生真面目な性格を、私はよく知っていた。決めた以上、律儀に通うに違いないと思ってはいたが、これはなかなかどうしてたいした熱の入れようじゃないかと、私はなかば感心し、なかば呆れる気持ちだった。 当時を振り返って、印象深い記憶がある。 月子のジム通いが始まってまだ間もない、ある木曜のことだ。帰宅した私は、その晩も妻が帰っていないことを確認し、ひとり、風呂を沸かして入った。 冷蔵庫を開けて、月子が用意していった夕食を取り出し、半分ほど食べ終わったあたりで、玄関のドアの開く音を聞いた。時計を見ると、9時半に近かった。 『また遅くなっちゃって……ごめんなさい』 居間に姿をあらわした月子は、すぐに殊勝な口調で謝った。ジム帰りの夜にはいつもそうであったが、肩先で切りそろえた彼女の黒髪は濡れ光っていた(『運動の後は、必ずジムでシャワーを浴びてから帰るの』と、彼女からは聞いていた)。 『わざわざ謝らないでいいよ。僕のことには気を遣わないでくれと言っただろう』 軽い口調で返事しながら、ふと見やった妻の姿に、なぜであろう、私の目は吸われた。 当時、月子は38歳であった。透けるように白い肌は肌理が細かく、しっとりと濡れたような光沢を帯びており、〈白磁のような〉という形容がよく似合った。卵形の面輪に切れの深い張りつめた眸、薄い唇も形良く整っていて、わが妻ながらまず美貌といってよい女だったと思う。 とはいうものの、息子の死以来、悲しみは月子の容貌から確実に生色を奪っていた。私は痛ましいような気持ちでそれを眺めていたのである。 ところがその瞬間、何気なしに見た彼女は異様なほど若々しかった。すべやかな頬はもちろん、細い頸からシャツの胸元にかけてほんのりと朱に染まり、あたかも微醺を帯びた人のようで、その鮮やかな色艶には匂うようなエロスが漂っていた。私はどきりとした。 運動後の余熱がまだ躯のうちに残っているからだろうか――私は考えた。 『何?』 気がつくと、目の前で月子が小首を傾げていた。 『いや、何でもないよ。少し考えごとをしていた』 誤魔化した私を、月子はちらりと一瞥し、『そう。なら、いいけど』と言った。 『お風呂は――あ、もう沸かして入ってくれたのね』 『うん』と私は答えた。
2014/11/03(月) 11:13:04 |
月の裏側・久生
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長かった梅雨もようやく明け、本格的な夏がやってきた。 月子の中学校は夏休み期間に入った。夏休みといっても、当然ながら教師の仕事はあって、彼女も毎日出勤していた。スポーツジム通いも続けており、月・木曜は相変わらず帰りが遅かった。 私の方はといえば、勤めていた出版社が新雑誌の創刊準備を進めており、私もチームの一員だったので、平常より忙しい日々を過ごしていた。 忙しい原因はそれだけではなかった。同じ頃、副業である小説家としての仕事も増え始めていたのである。小さな文学賞ひとつ取ったこともなく、確固とした足場のない私のような作家にしてみれば、本業が忙しいからという理由で原稿の注文を断るのもそれはそれで怖い。出版社を退社して筆一本に生きる道も考えないではなかったが、そう決断できるほどの自信はなかった。 そのようなわけで、もともと速筆でもない私は、編集者勤務を続けながら、依頼された原稿を書き上げるのに大わらわとなった。会社から帰った後も、深夜遅くまで書斎の机にかじりつき、パソコン画面を睨む毎日だった。 仕事に追われる私を気遣って、月子は『あまり打ち込み過ぎると、身体を壊してしまうわ。ほどほどになさいね』とよく言っていた。当時は何も思わなかったが、しかし今から思い起こすと、その言葉にはどこか心ここにあらずの響きがあったように思う。 * * * * * 忙しい毎日が続いていた、8月のある夜のことである。その日も自宅に戻った私は、風呂と夕食を済ますとすぐ二階に上がり、クーラーをがんがんに効かせた部屋で、眉間に皺を寄せながら原稿と格闘していた。途中、執筆に行き詰まって、しばらく煙草をやたらとふかしたりしていたが、どうにも先が続かない。時計を見ると、時刻は深夜2時を過ぎようとしていた。 (今日は仕舞いにしよう。明日、つづきをやればいいさ) 私は諦めて、一階の寝室へと向かった。このところ、月子には私にかまわず先に寝るように言っている。彼女を起こさぬよう、私は足音をできるだけ断つようにして、明かりもつけずに階段を降りた。 一階について暗い廊下に立った私は、ふと居間の方に目をやり、そこにかすかな光と黒い人影を見て驚いた。 人影は月子だった。 消灯した部屋の薄闇の中で、月子はソファに座っていた。かすかな光と見えたものは、彼女が手にした携帯の画面から発しているものだった。 (何をしているんだ?) 私は首をひねった。とうに眠っているだろうと思っていた妻は、私に気付かず、掌に握った携帯を操作している。こんな深夜だというのに、誰かにメールを打っているらしい。 そんな彼女を廊下から見つめながら、私は考え込んだ。 月子はそもそも携帯電話という文明の利器を好いていなかった。『あんなものが出来たから、社会が気忙しくなってたまらないわ』などと文句さえ言っていた。自分も使うようになったのは、あくまで私や息子と連絡を取る時の必要を考えたからであって、必要以上に携帯をいじるなどということはついぞなかった。 しかしである。ことさら意識していなかったが、思えば数か月ほど前から、妻は思いついたように携帯を眺めることが多くなっていた。普段、家にいる時は電源を切っているらしかったが、折々取り出して、チェックしていたようである。あれは誰からの連絡を気にしていたのだろう? もともと月子は社交的な性格ではない。友達と呼べるほど親しい人は少なく、その親しい相手であっても、頻繁にやりとりをすることはなかったのである。 以上のような思考を巡らして、私は戸惑ったのだが、かといってそうした材料がすぐさま妻への疑いに直結したわけではない。男嫌いと噂されていた学生の時分から、月子は性に対して潔癖な考えを持つ女だったし、浮気・不倫のような単語の持つイメージとはあまりにもかけ離れていた。だいいち、息子の死以来、彼女は極端にセックスを忌避するようになっているではないか。その忌避はあくまでセックスという行為に対するもので、「性交の相手が夫、すなわち私であることが厭なのだ」という風に、私は解釈していなかった。 ただ、気になることは他にもあった。月子がジム通いを始めてまだ間もない頃のある宵、私はふと妻の若々しさに目を見張り、妖しいほどの色香を感じたが、日が経つにつれて、その印象は強まっていた。息子の死から憂愁に沈みがちだった彼女の変化は、もちろん私としても喜ばしいことだったが、しかし一方では、どこか気にかかるところがあったのも事実である。 私が廊下に立ち尽くしていた実際の時間は、おおよそ3分くらいだったろう。月子はやがて携帯を閉じると、立ち上がり、寝室へ向かった。最後まで私には気付かなかったようだ。 私は洗面所へ行き、歯を磨いた。磨きながら目撃したことの意味を考えたが、思考は深まらなかった。 寝室に入ると、妻は消灯した室内で静かにベッドに横たわっていた。私に気付くと上半身を起こして『おつかれさま。今夜はずいぶん遅かったね』と言った。暗闇の中、こちらを見ている月子の瞳を、私は落ち着かぬ思いで見つめ返した。部屋の片隅で静かに首を振る扇風機の風が、彼女の髪を柔らかくそよがせていた。 『……君もまだ寝ていなかったのか』 私は嘘をついた。眠っていなかったことは分かっているのになぜ嘘を口にしたのか。ほんの直前まで、こんな深夜に誰宛てのメールを打っていたのか、尋ねてみるつもりでいたのに。 捗らない原稿に続いて、偶然目撃した月子の不可解な行動に頭を悩まし、私は疲れていた。と同時に、私はまだまだ愚かしいほどにのんき者だったのである。メールの件は、また朝にでも訊いてみよう。そう結論して、私は妻の傍らにもぐりこみ、夏用の薄毛布をかぶった。 『今夜は蒸し暑いね』 傍らで、目をつむった妻が独り言のように言う。最近、彼女は夏痩せしてきたようである。それとも、ジム通いの成果が出てきたのか――。とりとめのないことを考えながら、私もまた瞳を閉じた。
2014/11/03(月) 11:14:05 |
月の裏側・久生
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息子の死という悲しみの荒波に襲われ、航海中に櫂を失った小舟のごとく漂いながらも、一応は途切れることなく「家族」をつづけていた私と妻の日常。 しかし、その日常は呆気なく崩壊してしまうことになる。再び訪れた嵐によって。 いや、この比喩は正しくない。災害は必ずしも外からくるものではない。私たちの生活を終焉させた嵐は、ほかならぬ妻の胸の中に生まれ、私の気付かぬうちに勢いを強めていたのだから――。 夏が過ぎ、残暑も少し弱まってきた9月の末であった。 私は相変わらず多忙な編集者の業務と小説執筆に追われていた。中学校の新学期が始まった月子は、美術教諭としての勤めを果たしながら、やはりジム通いを続けていた。 その日は水曜日だった。自宅に帰りつき、居間のソファに腰を落ち着けた私は、夕食の膳を運んでくる月子に『ビールも頼むよ』と声を掛けた。 『原稿を書く時は飲まないんじゃないの? 今夜はいいの?』 妻は怪訝な顔をした。 『ああ。昨日頑張ったおかげで、ようやく終わりが見えてきた。今夜は前祝い』 『全部終わってからにしたら?』 『いいじゃないか。景気づけだ』 『前祝いと景気づけは大違いよ』 と言いながらも、月子はビール缶とグラスを運んできた。 『君も飲まないか』 『私はいいわ。お風呂に入ってくる。私があがったら、あなたもさっさと入ってね』 すげなく断って、さっさと浴室へ歩み去っていった妻の背中を、私は何となく物足りない思いで見送った。 ひとり残された私は、冷奴と南瓜の煮つけをつつきながらビールをあおり、くだらないバラエティ番組を眺めた。画面の中で面白くもないジョークを飛ばす芸人を見つめながら、ぼんやりと月子のことを考えた。 すでに夜の営みは1年以上絶えている。中年の域に入ったとはいえ、まだまだ性的に枯れていない健康な男としてはいかにも辛い。最近とみに美しくなってきた妻を持つ者ならば、なおさらのことだ。 猛資の死以来、月子は性交渉を拒否するようになった。生殖のための行為が失った最愛の息子を直接に連想させるから――らしい。猛資の不幸な事故には私も責任を感じているだけに、「いや」と言われればそれ以上強く出ることができぬ。一方で、その妻が日に日に若返り、女としての魅力を増しているように見えるのはなぜだろう。悲しみに打ちのめされたあの日から妻はまだ立ち直っておらず、切れ長の目から暗さが消えたわけではないのに――。 沈んだもの思いは、突然鳴り響いた携帯電話の震動音に破られた。 ソファの上に置かれた妻のバッグ。その中で携帯が動いていた。在宅中はいつも注意深く電源を切っているのだが、今日はうっかりしていたらしかった。 8月のあの深夜、真暗な居間で携帯メールを打っていた月子。その光景を偶然覗き見た記憶が私の中にまざまざと蘇った。 忙しさにかまけて、以後も私はメールの件を妻に問い質していなかった。気にはしつつ、「たいしたことじゃない」と思い込んでいたのも原因の一つである。後になって振り返れば、それはまさしく救いようのない楽天家の思い込みだったのだが。 携帯の震動はすぐに止まった。どうやらメールらしい。 (いったい誰からだろう。あの晩と同じ相手だろうか) 8月の出来事をすっかり思い出した私は、気になって仕方なかった。 自己弁護するつもりはないが、思いのほか酔っていたのだろう。もともと好きなわりに酒に強い方ではない。久々に口にしたアルコールは、私の理性を揺るがし、普段ならまずしないであろうことをさせた。――私は月子のバッグを手繰り寄せ、その中から携帯を取り出したのである。 手にした携帯を開く。かつて妻の携帯画面の壁紙は息子の写真だったが、悲劇の記憶を喚起させずにおかないそれはいつの間にか取り払われ、ただ黒一色の画面に日付や時間を告げる白文字だけが浮いていた。 いや、もうひとつ、メールの着信を告げるマークも表示されていた。私は妻の秘密を覗くために、携帯を操作してそのマークを押した。酔いは早くも醒めかけて、心臓の鼓動が早くなっていた。
2014/11/03(月) 11:15:05 |
月の裏側・久生
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携帯の画面を切り替えて、受信メール一覧の頁に移った。 先ほどのメール――その差出人は「T」と表示されていた。 T――。 「誰だ?」という疑問が浮かぶ前に、まず不審を覚えた。アルファベット一文字の登録名とは、いかにも差出人の本名を隠すための細心な配慮を感じるではないか? もちろん、そのような配慮をしたのはほかならぬ妻なのである。 黒い雲のような不安と猜疑が胸中に広がっていく。 居間のテレビでは相変わらずバラエティ番組の放送がつづいていた。そのにぎやかな音声も、私の耳にはまったく入ってこなかった。 こわばる指で携帯を操作し、Tのメールを開いた。 一瞬後、私の唇から声にならぬ声が漏れた。 2009/9/30(Wed) Frm:T Sb:(non title) 《おとといヤッたばかりだけど、すげー悶々する 早く月子とヤリたい 今日はこれ見てオナニーするわ(笑)》 その文面からは知性というものがまるで感じられなかった。ぎらついた性欲と生臭い精液の匂いが漂っているばかりだった。何より私の気分を悪くさせたのは、もちろん、「月子とヤリたい」という一文だった。 心臓は異常な早さで鼓動していた。眩暈のような不快な感覚に私は襲われた。携帯を握りしめた手は震え、指先までべったりと汗ばんでいた。 しかし、本当の衝撃はすぐ後にやってきたのである。 Tのメールには動画ファイルが添付されていた。最後の一行にあった「これ見てオナニーするわ」の「これ」とは、この動画を指すらしい。 厭な予感がした。 見たくなかった。 だが、見ないで済ますという選択肢は存在しなかった。 最悪の悪夢を見ると分かっていながら眠りにつく人のように、私はその添付ファイルを再生した。 動画が始まり、すぐさま中心に映し出されたのは、女の顔であった。 ただ顔というだけではない。女の眼前には勃起した男のものが傲然と突きつけられており、女はそれに唇を使っていた。 女が月子であることは、携帯動画の貧しい画質でも明らかだった。 場所はどこかのベッドの上らしい。上半身しか見えないが、どうやら月子は一糸も身につけていない様子だった。裸身を晒して男のものに口奉仕している月子を、当の男が上から見下ろすアングルで撮影しているようだ。 撮られる月子には、しかし携帯のカメラもほとんど意識されていないようであった。ベッドに両手をついた姿勢の彼女は、主人を見上げる犬のように顔を上げ、薄桃色の舌を伸ばして差し出された肉柱にすり寄せていた。くなくなと頸を揺すりながら、茎胴の裏筋から雁首まで丹念に舐め上げ、鈴口を舌でくすぐるようにして、一心に奉仕している。時折、はぁはぁという熱っぽい吐息がその口と鼻から噴きこぼれた。 そのようにして間断なく奉仕する月子が頭を前後に動かす度、華奢な身体つきにふさわしからぬ豊かな乳房――その胸乳の大きさこそ若い頃の彼女を男嫌いにさせた原因であった――がたぷんたぷんと弾み、白い珠のようなそれは柔らかくさざ波立った。 想像を超えた淫らさだった。私は鉄槌で殴られたようなショックを覚えた。 『もっと舌出して舐めろよ。カメラもちゃんと見て』 突然、男の声がした。この声の主が撮影者であり、Tなのだろう。メールの文面と同じように軽薄で、子供っぽい口調だが、甲高くハスキーな声質には特徴があった。 映像の中の妻が閉じていた目を開き、カメラを見上げた。その瞳はうるうると潤み、鼻頭から頬の辺りまで紅潮している。汗の玉が浮いた額に、ほつれた前髪が幾筋か張り付いていた。 『いいぞ。あー気持ちいいわ。だいぶうまくなったじゃん』 Tは言いながら、月子の髪を梳くように左手で撫でた。その人差し指には髑髏を象った趣味の悪いリングが鈍い光を放っていた。 まるで子供をほめる時のようなTの仕草に、しかし妻はうっとりと目を細め、うれしげに男の手指を受けていた。気のせいか、舌の愛撫にいっそうの濃やかさが加わったように見えた。 『そろそろ入れてほしいか?』 唇の奉仕を途切れさせぬまま、妻はうなずいた。 『じゃあ、四つん這いになれよ。後ろからハメてやる』 剛直からようやく口を離した妻は、Tの無造作な命令に『はい……』と小さく返事をした。すぐに身体をねじって、後ろ向きになる。つきたての餅のような、真っ白な尻がカメラの前に晒された――。 そこで、唐突に映像は終わった。 描写すると長くなってしまうが、時間にして1分にも満たない動画だった。 だが、それによって私の受けた驚愕と混乱は、空前のものであった。 映像が終わってからも、私は妻の携帯を握りしめたまま、その場に座り込んで動くことができなかった。呆然自失を絵に描いたような有り様だった。不意に強烈な吐き気が私を襲い、『うっ』と呻きながらようやく喉もとでそれを堪えた。目尻に涙が滲んだ。 考えるべきことはやまほどあるのに、私の思考回路は灼き切れる寸前で、周囲への注意力すらまったく失われていた。だから、その時すぐ近くまで歩み寄っていた月子の影にもまったく気付いていなかった。
2014/11/04(火) 00:06:48 |
月の裏側・久生
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今になって考えてみると、Tと秘密の連絡を取り合うようになって以降の月子は、携帯電話の取り扱いに慎重になっていったようだ。それでも8月のあの夜あたりまでは、彼女が携帯をチェックしているのを家の中で時どき見かけたけれども、近頃ではまったくなくなっていた。夫の目の届くところで携帯を扱うのは危険だと、月子はもちろんそう感じていたにちがいない。 だが、その晩の妻はよほど疲れていてうっかりしたのか、普段は切っている携帯の電源を入れっぱなしで、あまつさえ夫のいる居間に置いてきてしまった。 月子は風呂場でそのことを思い出し、動揺したにちがいない。 猛資が事故に遭った日もそうだったが、妻にはもともとおそろしく勘の鋭いところがあった。厭な予感がしたのだろうか。彼女はすぐに風呂を切り上げ、バスタオル一枚だけを身にまとって、居間の様子をうかがいに来たのだ。 するとどうであろう。夫、すなわち私が、まさしく彼女の携帯を見つめて愕然としているではないか。 月子にとっては最悪の事態だったはずだ。もちろん、私には彼女の内心が真実どうであったかということは分からない。次の瞬間、彼女が取った行動を振り返ると、妻は素早く落ち着きを取り戻したようにも、あるいはまったく取り乱していたようにも見える。 月子はどうしたのか。そろりとした足取りで私に忍びより、私の手から、さっと携帯を取り返したのである。 呆然自失していた私は、その時はじめて妻の存在に気づき、『あっ』と声をたてて驚いた。携帯を手にした彼女は、くるりと私に背を向けて、部屋の外へ駆け出していた。 『待ちなさい――待て!』 私は大慌てでバスタオル一枚の後ろ姿を追った。 月子が走っていったのは、再び浴室の方角だった。室内に飛び込むと、彼女は尋常ならざる素早さでドアの鍵を掛けた。 『開けろ開けろ!!』 私はすでに隣近所の耳を気にする余裕もなく、がんがんと扉を打ち叩きながら叫んだ。しかし、中からは何の応答も無い。 まったくもって不可解だった。 不倫の証拠を見られた――妻がそう認識しているのは十分すぎるほど明らかだ。このような場合、世間一般の尋常な不倫妻――というのもおかしな表現だが――の反応はどうだろうか。顔面蒼白になってわなわなと立ち尽くすか、あるいは泣き崩れながら亭主に詫びをいれるか――私の貧しい想像力ではこれくらいしか思いつかないけれども、だいたいありそうなのはこんなところではないか。しかるに、月子のリアクションはまったく異なっていた。 混乱の極みにありながら、私は腹の底から猛烈な怒りがわきあがってくるのを感じた。貞淑そのものに見えていた月子が実は不倫していた――という事実はもちろんのこと、それ以上に、彼女は不倫相手のTなる男に痴態の撮影まで許していたのである。映像の中の妻は、Tの野卑で淫猥な命令に対し従順そのもので、みずから望んで「男のおもちゃになっている」という表現がぴったりだった。妻を信じきっていた私には、あまりにも衝撃的であり許そうにも許しがたい裏切りであった。あまつさえ、その裏切りが発覚した月子は、天の岩戸よろしく、こうして浴室にたてこもっている。これで怒らない人間が――亭主が、いるだろうか。 月子が浴室から出てきたのは、それから20分も経たないうちだったが、私には永遠のごとく長い時間のように感じられた。 伏し目がちに姿をあらわした月子は、きちんと寝巻に着替えていた。白蝋のように蒼褪め、唇はわずかに震えていたが、扉を開いた時にはもう覚悟を決めて――その覚悟がまたも私を驚愕の淵に叩き落とすのだが――いたのか、抑えた表情には諦めと同時に意志的なものが漂っていた。 私はそんな妻の様子に戸惑った。しかし、やがて彼女の唇が動き、かすかに震えながらもしっかりとした声音で『ごめんなさい』と言った時、私の中で何かが弾けた。自制の意識を働かす間もなく、右手を大きく振り抜いて、月子の横っ面を張り飛ばした。それは私が女性に対して――そして何よりも妻に対してふるった、初めての暴力であった。 月子はのけぞり、壁にぶつかって崩折れた。唇が切れて、端から赤い血がすーっと流れ落ちた。打った私も動揺したが、しかしそれよりも収まらぬ腹立ちの方が大きかった。 問い質すべき「なぜ?」はあふれるほどだったが、私はその時あることが気になった。 『携帯はどうしたんだ?』 背中を壁に預けて床にへたりこんだ月子の前髪は乱れ、見下ろす私の視線から彼女の目元を隠していた。血の筋を垂らしたままの唇は、私の問い掛けには答えなかった。ただ静かに『ごめんなさい』という言葉が再び漏れ聞こえた。 私は月子の衣服を探った。携帯を持っている様子はなかった。私は浴室に足を踏み入れ、辺りを見回した。 携帯はあった。バッテリーを抜かれた状態で、水を張った洗面器の中に沈められて。内蔵のカードも取り外され、念入りに折られていた。 最初は何が何だか分からなかった。徐々に思考が冴えて、「これは不倫相手を庇うためにやったことではないか」と気がついた。携帯のアドレス帳にすら、万一の場合を考えて、「T」というアルファベット一文字で登録していたくらいだ。月子にとって相手の男の本名や身元は絶対に知られたくないものらしい。だからこそ、不倫の発覚を悟ったまさにその時、何よりも優先して彼女は、Tに直接つながる情報が入った携帯の処分を考えたのだ。 私はそう結論した。その結論は沸点を迎えていた妻への怒りをさらに煮えたぎらせた。 浴室から踵を返した私は、まだ床に座り込んだままの月子の寝巻の襟元を掴んで、無理やりに立たせた。 『お前の相手は誰なんだ? 言え!』 妻を「お前」呼ばわりしたのもその時が初めてだった。冷静さを失っているはずの私は、しかし頭のどこかでその事実に気づき、なぜだか冷やりとした哀しみに胸をつかれた。 月子の顔もまたひどく哀しげだった。彼女はすでに決めていたのだ。これからどのようにするのかを。 『ごめんなさい。あなた、本当にごめんなさい』 噛みしめるような口調だった。ひょっとしたらその言葉は、猛資の死以来、彼女が私に向かって発した言葉のうち、もっとも深く、直截に、彼女の心を反映したものであったかもしれない。 そして彼女は言った。『離婚してください』と――。
2014/11/04(火) 00:07:37 |
月の裏側・久生
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私たちは日常生活において他人の悲劇をしばしば見聞きする。ときには心配げに眉をひそめながら、同情の言葉を口にしたりもする。 17世紀フランスのモラリスト、ラ・ロシュフーコーは唯一の著作『箴言集』に「我々は皆、他人の不幸には耐えていくだけの強さをもっている」と記している。なんと意地悪な男だろう! とはいえ、結局のところ、同情は同情でしかない。私たちはつねに他者の悲劇を対岸の火事と思い込んでいる。こんなことが自分の人生に起きるはずはない、と――。 私たちはたしかに「他人の不幸には耐えていくだけの強さをもっている」かもしれない。だがしかし、未来に対する想像力にはいつだって愚かしいほどに欠けている。 「子供を亡くした夫婦の話」は、私にとってそんな対岸の火事的エピソードの一つだった。自分の現実に起きるまでは。 そして、「妻をよその男に寝取られた夫の話」。これもまた私にとってはありえるはずもないことだった。私の知人には妻に不倫された男がいる。彼の話を聞いた時ですら、『そいつは大変だったなぁ』と労わりの言葉を発しながら、ただの一度だって、そんな出来事が自分に起こりうるなどとは想像したこともなかったのだ。 しかし――それは現実となった。 悲劇なるものはときにやすやすと平凡な日常へ侵入してくるらしい。とはいえ、容赦ない現実に厳しく鞭打たれても、人が賢くなるには長い時間が掛かる。少なくとも私はそうだった。さらにいえば、私の場合はすべてが連鎖的で、第二の悲劇のあとには第三の悲劇がすぐに待ち受けていたのだ。それは申すまでもない――「妻に離婚を切り出された男の話」である。 月子から突然に離婚の話を切り出され、私の混乱と驚愕は最高潮に達した。不倫の発覚で生じた怒りすら、その一瞬には毒気を抜かれてしまったくらいだった。 『離婚って……何なんだ、それは。どういうことなんだ』 パニックの波が引き、わずかに冷静さを取り戻したあとで、私はようやく声を絞り出した。 『言葉どおりの意味です』 月子は言葉少なに答えた。切れた唇の血は止まっていたが、私の平手打ちをうけた彼女の左頬は赤黒く腫れあがっていた。色白なだけに余計痛々しく見えたが、もちろん、その時の私に気遣う余裕はない。それどころか、再びこみあげてきた怒りを押し殺して会話をつづけるのが精いっぱいだった。 『……僕の正直な気持ちを言おう。悪い冗談でも聞いている気分だ』 呻くように私は言った。 『もう必要もないと思うけれど、まず確認したい。君は……僕に隠れて、よその男に抱かれていたな』 私にとっては口にしながら自らを傷つけるような言葉だった。視線を伏せたまま、月子はかすかに身じろぎした。だが、すぐに『はい』と小さく答えた。 『……いつからだ?』 『それは……言えません』 『なぜ?』 今度は答えが返ってこなかった。 『君の相手……そいつはいったい誰なんだ?』 私は先ほどの問いをもう一度繰り返した。妻はやはり答えず、ただ同じように『ごめんなさい』と繰り返すだけだった。 何となく分かった。つまりは携帯を処分したのと同じことだ。相手が誰であるかという質問はもちろん、不倫の始まりはいつかという問い掛けですら、それに対する答えはTの身元特定につながるおそれはある。月子はそう考えている。だからこそ、答えようとしないのだと。 この瞬間、私は憎んだ。はっきりと妻を憎んだ。20年近く前にあの画廊で出会い、恋に落ち、やがて夫婦となり、子に恵まれ、その子を失い、それでもなお「健やかな時も病める時も」人生の同伴者としてともに歩んでいくものと信じ込んでいた女を――心底から憎んだ。 むろんのこと、憎悪は妻を奪ったTなる男にも向かった。だが、私はそいつの顔も知らないのだ。知っているのは声だけ――軽薄そのものの口調で妻に淫らな振る舞いを命じているその声だけだった。ふと頭の中にあの携帯動画の映像がよみがえって、私はもの狂おしい気持ちになった。 妻の手を引っ張って居間へ追いやると、私は台所へ行き、冷蔵庫から缶ビールを取り出した。飲まなければやっていられなかった。アルコールを流し込みながら、再び彼女のもとへ戻った。 月子は黙然とソファに腰掛けていた。もともと小柄にはちがいないが、今宵はいつにもまして小さく痩せて見える。左頬は赤黒く腫れあがり、まだ濡れの乾かない髪は乱れたままだ。だというのに、その姿からは凄艶な趣すら感じられた。 妻の器量の良さは結婚以来、私のひそかな自慢であった。けれど今、目の前で黙りこくっているのは、妻であると同時に不貞の罪を犯した女だった。彼女の美しさはかえって、私の憎しみをかきたてずにおかなかった。 再びTのことを尋ねた。月子は答えず、すっと目を伏せた。唇をきゅっと引き結んだのが分かった。 私はようやくのことで怒鳴りつけたい衝動を押さえつけた。 『じゃあ質問を変えよう。君はどうして離婚したいんだ? 僕と別れて、相手の男と一緒になる気なのか』 『そんなことは――』 はじめて月子が鋭い反応を見せた。 『そんなことは絶対にありません。彼とは……もう会いません』 『信じられるものか』私は吐き捨てるように言った。『だいいち、それならなぜ離婚する必要がある?』 『あなたを……裏切っていたから。許されないことをしてしまったから』 『……そうだな、君はひどい女だ』 『ごめんなさい』 『謝ってすむ問題じゃない。そもそも、本当に悪いと思っているのなら、なぜすべてを洗いざらい打ち明けてくれないんだ?』 『…………………』 『分かっているさ、君の相手……携帯にはTと登録していたな。そのTとやらを庇っているんだろ』 言いながら、私は胸のうちで灼けつくような痛みを感じていた。 『分かっているはずだが、僕はTから君宛てに届いたメールを見た。添付の動画も見た。あんなところまで撮らせて……いったい何を考えているんだ』 強張ったままの月子の仄白い顔にさっと羞恥の色が浮かんだ。 『君があれほど淫らになれる女だとはまるで知らなかった』 『…………………』 『この1年間、僕に抱かれるのを拒んでいたな。僕はてっきり猛資のことが原因で、君がセックスを怖がるようになってしまったのだと思い込んでいた。今思えば間抜けだったな。それは――ただの口実だったんだ』 『…………………』 『君はセックス自体が厭になったんじゃない。僕という男が厭になったんだ。離婚したいというのもつまりはそういうことなんだろ。なぜだ? あの事故があった日、僕が猛資を迎えに行かなかったことを怨んでいるのか?』 『ちがう――――!』 ずっと視線を外したままだった妻の目がはじめてまっすぐに私をとらえた。そのまなざしには必死なものがあった。 『何がちがうんだ?』 『何もかも……全部よ。私はあなたを厭になったことなんてないし、もちろん怨んだこともない。あの日のことは……二度と言わないで』 『じゃあ、なぜTには抱かれた?』 口にした瞬間、愚かしい質問だと自分で思った。月子が言ったことのどれだけが真実なのかは分からないが、仮に私への気持ちが冷めきっていたわけではないとしよう。猛資の死がきっかけでセックス恐怖症になったという話も本当だとしよう。だからといって、彼女がTと関係をもっていたことはまったき事実なのだ。 なぜTに抱かれた? 答えは明白だ。妻はそれだけTという男に激しい愛情を感じていたのだ。あの映像にあったとおり、Tの命令なら何であれ拒めないほどの愛情を。 暗澹たる気分に落ち込んだ私を、突き刺すような苦痛と嫉妬が襲った。 月子はやはり押し黙ったままで先ほどの質問にも答えなかった。顔を伏せていたが、泣いているのは気配で分かった。彼女は声を立てずに泣く女だった。私はそれを知っていた。 ……実のところ、これ以上、長々と描写を重ねても仕方ないのである。 激動の一夜のあとも、毎日のように同じ問答が繰り返されただけだった。私は間男について尋ねた。不倫の詳細を訊きだそうとした。問いを重ねながら、混乱し、怒り、時には激昂のあまり暴力もふるった。『すべてを明らかにするまでは、ぜったいに離婚の申し出は受けない』と言い張った。 月子は最後まで何も答えなかった。肩を揺さぶられても、髪をつかまれ頬を打たれても、何一つ反抗しようとはしなかった。『ごめんなさい』と幾度も謝り、『私がすべて悪いの』『離婚してください』という言葉がそれにつづくだけだった。 月子が出て行ったのはそれから一週間後であった。 あとには妻の印だけが押された離婚届と、これまでの感謝と謝罪をつづった短い書き置き、そして、急速に温もりを失い、がらんとした家ばかりが残された。
2014/11/04(火) 00:08:42 |
月の裏側・久生
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『――で、月子さんはまだ帰ってこないのか』 懐から取り出した布きれで眼鏡の曇りを拭きながら、金塚は気遣わしげな口調で言った。 場所は新宿のとあるバーだ。私はその日、大学時代の旧友である金塚と、久々に酒を酌みかわしていた。 『ああ』 私は短く答えた。まだ生々しい傷口がじわりと疼いた。 月子が姿を消してから、はや2ヶ月が経過していた。 その間、手をこまねいていたわけではもちろんない。妻の母親(先述したように月子は母子家庭で、彼女の母は再婚している)をはじめ、心当たりにはすべて連絡している。だが、月子の行方は杳として知れなかった。 『藤島にはもったいないくらいのいい奥さんだったのになあ。いったいどうしちゃったんだろう。人間、魔がさすというのは誰でもあるけどなあ』 しんみりした声だった。同い年の金塚はいまだ独り身、テレビ局で報道関係の仕事をしている。昔から気のいい男で、就職が決まったときはこんなにおっとりしたやつが生き馬の目を抜くようなマスコミの世界でやっていけるのかと、心配になったものだ。もちろん、余計な心配であったのだが。 大学を卒業してからは互いに忙しくて年に数回しか会えないのだが、付き合いはずっと続いていた。私の結婚式では友人代表としてスピーチしてくれたし、わが家にも、何度か遊びにきたことがある。月子も金塚のファンで、『あんなにいい人はいないわね。どうして結婚されないのかしら』とよく言っていたものだ。 『さて、どうだろうね』 あいまいな返事をしながら、私は意味もなくグラスを揺らした。中の氷が、ちん、と音を立てた。 『やっぱり猛資君のことが相当ショックだったんじゃないだろうか。葬儀の席では気丈にしてたけど、あの頃の月子さん、ちょっと見ていられなかったもんな』 『それはショックだったろうけどね。実際、しばらく鬱状態で通院していたくらいだから……。でも、それと月子が不倫に走ったことを結びつけるのは、ちょっとおかしいだろう』 『そうかな。猛資君が亡くなっていなかったら、月子さんの心にぽっかりと穴が空くこともなかったし、不倫なんてぜったいになかったと思うよ。彼女、ずいぶん堅い人だったじゃないか。もっと細かくいえば、月子さんの心に隙間が出来ていたからこそ、どこかの悪い男がそれにつけこんだんだろう』 そこまで言ってから、金塚はばつのわるい顔をした。 『無神経だったかな。すまん』 『いや………』 私はふっとため息をついた。 新宿駅で金塚と別れたあと、帰りの電車に揺られながら、私は何度となく考えたことをまたも考えた。むろん、月子についてである。 月子は今どこでどうしているのか。あの晩、離婚してほしいと言い出した彼女は、しかし「相手の男と一緒になる気はない」と言っていた。それどころか「もう会わない」とも。 真実である保証はない。月子はその相手――Tを庇って、どんなに責められてもTに関する情報は一切口にしなかった。それほどまでに打ち込んだ相手と簡単に別れられるはずがないし、夫のもとから離れたあとではなおさらだ。「会わない」どころか、一緒に暮らしている可能性の方が高いのではないだろうか。もちろん、Tが既婚か未婚かにも大きく関わる話ではあるけれど。 月子の行方が知れないのと同様、Tの正体についてもいまだ見当すらついていなかった。妻が出て行った当初は、何としてでもTの首根っこをつかまえて家庭を崩壊させた責任を取らせてやる、とその一念ばかりだったが、手掛かりはあまりにも少なかった。 とはいえ、考えるべきポイントはいくつかある。 まず可能性は極めて薄いが、学生時代の古い知り合いという線である。しかし、当時の彼女は男嫌いで通っていたくらいだから、親しい異性がいたという話さえ聞いたこともない。 次に、彼女が勤めていた中学校の関係者。これがもっともありそうだ。 もともと月子は勤め先での話をあまりしなかったし、話すとしても教えている生徒のことばかりだった。同僚の教師たちとはさほど個人的な付き合いをしている様子はなかった。 妻が家を出て行ったあと、彼女が職場でもっとも仲良くしていたらしい、内川さんという女性の数学教諭に一度だけ連絡を取った。息子に先立たれ、さらには妻まで失った私に、内川さんはたいそう同情してくれたが、しかし、月子の相手となると『まったく分かりません』ということだった。少なくとも内川さんの見たところでは、月子が職場の男性教師のうち特定の人間と親しくしていた様子はなかったという。 最後に、月子が通っていたスポーツジムの線だ。運動とはおよそ縁のなかった彼女がジム通いを突然始めたのは、今となってはいかにもあやしい。 Tのメールにあった文句を思い出す。 『おとといヤッたばかりだけど、すげー悶々する』 おととい。 あのメールが来たのは水曜日の夜だった。水曜の一昨日といえば月曜であり、月子が職場帰りにジムへ通っていたのは一週間のうちの月・木曜日である。つまり、本当ならジムにいるはずの時間にTと会っていた可能性が高い。 私は実際にそのスポーツジムへ行き、スタッフに妻のことを訊いてみた。思ったとおりだった。入会はしていたものの、実際には、月子がジムへ顔を見せる日はほとんどなかったという。 月子はジムへ行くと偽って毎週月木曜の夜にTと密会していたのだ。なぜそんなことをしたのか。もちろん、私の目を気にしたからだろう。その年の夏はたまたま忙しかったが、普段の私は夜8時過ぎには帰宅するし、小説を書かなければならないから週末はほとんど家にこもっている。密会のたびに口実を作って出掛けるにしても、度重なれば私の疑惑を招くと、月子は考えたにちがいない。 しかしである。そうなると、ジムの関係者もしくは会員に月子の相手がいた、という線はほぼ消えてしまう。何しろ月子はほとんどジムに顔を出していない。ジムへの入会はそもそもTと密会する口実を作るためだった――そう考える方が自然だ。 月子がジムに通い出したのは6月からだ。となると、彼女はそれ以前にTと知り合っていることになる。 思い返せば、その年の春から月子の様子はどこか妙だった。息子の死からずっと塞ぎ込んでいた月子だったが、4月に入ってしばらくした頃、ふと明るい表情を見せるようになった。私は「おや?」と思い、しかしそんな彼女の変化を喜んだものである。けれども、その変化はあまり長くつづかず、ジムに通い始めるあたりの時期には、むしろ再び沈んだ顔を見せる日が多くなっていた。 これらの現象から想像するに――月子がTと出会ったのは4月ごろであったように私には思える。 なぜかは分からないし、それを考えるのも苦痛なのだが、ともかくTは4月のある日に現れ、どういうわけか月子の心をつよく惹きつけた(同時期、彼女の様子に浮き浮きしたものが見られたのはそのためだ)。もちろん、当初、2人の仲はただちに不倫へと結びつくようなものではなかったろう。だが、4月から6月にかけてのいつかの時点で、月子とTの関係は決定的に変わった。一度は明るさを取り戻しかけた月子の顔が次第に曇っていったのは、Tとの関係が思いがけぬ進展を見せたこと、つまりは肉体関係にまで発展していったことが影響しているのではないだろうか。私に対して不倫の罪を犯した罪悪感が月子を翳らせたのだ。しかし、それでも彼女は止まれなかった。ずるずると悪い深みに嵌まっていった――。 私の思考はここに及んでストップしてしまう。結局のところ、Tの正体に関する手掛かりはまるでないのだ。 同様に、月子の居所を示すような手掛かりもない。 だいいち、彼女を見つけたとして、私はどのように行動するのか。その回答を私は持ち合わせているのか。 月子が置いていった離婚届はまだ家にあった。夫側の欄に印は押していない。いつか、決定的な心境の変化が起こり、この欄を埋める気になる日がくるのかもしれない。だが、そのときの私はまだ決意らしきものを何一つ持ち合わせていなかった。来る日も来る日も考えつづけているばかりだった。―― * * * * * 金塚と会った夜からちょうど1週間後のことである。 その日、私は小説の資料集めのために神保町の古本屋街へ出掛けた。目当てであった建築関係の専門書と、ついでに以前から読みたかった国枝史郎の『神州纐纈城』を買った。 もう12月の半ばだった。間近に迫ったクリスマスのために、古本の街もいつもより浮かれモードである。師走の冷たい風を浴びながら、山下達郎やWham!の名曲が流れる通りを歩いて帰りの駅へと急いでいた私は、ふと気を変えて、通りすがりのカフェに足を踏み入れた。 猛資は逝き、月子は去り、私ひとりが残された自宅。その暗い空間を思って、まっすぐに帰ろうという気が削がれたのだった。当時はこんなことがよくあった。 私が入ったのはいまや都内の至るところにチェーン展開をしているカフェだった。 アメリカンを注文し、カウンターでそれを待っている間、私は何気なく店の奥へ目をやり、そこにいた中学生の一群にふと注意を引かれた。 その中学生グループの生徒たちはみんな男の子で、いずれも詰襟の学ランではなく、洒落たブレザー型の制服を着ていた。にもかかわらず、一目で中学生と分かったのは、その制服に見覚えがあったからだ。 月子の勤め先であったM中学校の制服だったのである。M中学はそれなりに歴史ある名門の私立校で、私立中学といえばたいていそうであるように、富裕な家庭の子供たちしか通っていないらしい。 私は月子がもっていた学校資料で同じブレザー型の制服を見、『へえ、今どきは中学校でもこんな服を着せているのか』と感心したことがあった。なので、彼らがM中学の生徒だとすぐに分かったのだ。 (中学生が学校帰りにカフェに入るのは、校則違反じゃないか) そう思わないでもなかったが、わざわざ注意する義理はなかった。月子が失踪した今となってはなおさらだ。だいいち、私は中学生が苦手なのである。14歳で死んだ息子のことが、どうしたって思い出されるから――。 それきり、私は中学生たちの方を気にするのをやめた。アメリカンを受け取って、店の隅に腰掛け、買ってきたばかりの古書をぱらぱらとめくった。だが、すぐに思考は手元の本から離れて、いつものもの思いへと移っていった。 もうすぐクリスマスがやってくる。その次は大晦日、一夜明けると正月――。猛資が健在だった頃、年末年始のイベントは家族3人の楽しみだった。 まだ結婚する前、恋人時代の月子は、こうしたイベント事にたいして関心のない女だった。誕生日にプレゼントを贈った時、当人が自分の誕生日を忘れていたことすらあった。クリスマスだろうが正月だろうが大差はなかった。 なのに、猛資が生まれてからは人が変わったごとく、家族で行う祝い事や季節の行事をこよなく大切にするようになった。むろん、息子のためである。彼女自身は早くに父親を失って家庭的なイベントに縁が薄かったから、余計、息子には多くの楽しみを味合わせたくなったにちがいない。 ふと金塚の言葉が思い出された。 『やっぱり猛資君のことが相当ショックだったんじゃないだろうか。葬儀の席では気丈にしてたけど、あの頃の月子さん、ちょっと見ていられなかったもんな』 『猛資君が亡くなっていなかったら、月子さんの心にぽっかりと穴が空くこともなかったし、不倫なんてぜったいになかったと思うよ。彼女、ずいぶん堅い人だったじゃないか。もっと細かくいえば、月子さんの心に隙間が出来ていたからこそ、どこかの悪い男がそれにつけこんだんだろう』 月子の生活の中心、生きる喜びのほとんどすべては、息子のためにあった。それは間違いない。不意の事故で猛資を失くしたあと、彼女がどれだけ落ち込んだか――私が一番よく知っている。 だからといって、いや、だからこそ、というべきか、その妻が息子の死後、不倫へと走ったのはどうにも解せない。たとえ、亭主である私に愛想尽かししていたとしても、だ。 Tのことを思い出す。あのいやらしい口調。卑猥な言葉。私にとっては悪夢のような携帯動画の中で、妻の髪を撫でる指に光っていた、趣味の悪い髑髏の指輪――。どう間違っても、月子のような女が不貞の罪を犯してまで愛し、庇い抜くようなタイプとは思われない。 しかし、現実はそうだったのだ。だからこそ、私の頭は混乱している。いつまでたっても、思考の泥沼から抜け出せずにいる――。 ――そのときだった。 ある強烈な感覚に打たれて、私は迷宮のようなもの思いから一息に醒めた。 瞬間、電流のように走り抜けていった感覚の正体が何であるか、自分でも分からなかった。 (今のは何だったんだ?) 心臓がにわかに高鳴っていた。得体の知れない思いで、私は周囲をぐるりと見回した。 近くのテーブルには数人の女子高生たちがたむろしていた。見ると、先ほどの中学生男子グループが彼女らの周囲をぐるりと取り囲むようにして、にぎやかに騒いでいる。どうやら、ナンパをしているようだ。 (名門校のわりにはませたガキどもだな) と思いながらも、ことさら不快の念を抱くでもなくその方を眺めた私は、あるひとりの男子生徒を見て驚愕した。 彼が中学生グループのリーダー格であるらしいのはすぐにわかった。一番堂々とした態度で、わるくいえば、相当に女擦れした様子で、女子高生たちに声をかけている。 『なあ、いいじゃん。もうすぐクリスマスだってのに、俺たち彼女いなくて超~寂しいの』 『マジマジ、本当に彼女持ちじゃないってば』 『まずは携帯のアドレスだけでも頂戴。ね、お願い』 子供っぽく、軽薄な口調だった。どうやら声変わりの時期らしく、甲高いその声は微妙にかすれていた。そのハスキーな声質に、私は聞き覚えがあった。 先ほどの強烈な感覚の正体を私は悟った。少年の声はあの携帯動画で聞いたTの声によく似ていたのだ。もの思いに耽っていた私の耳がそれを聞いて、無意識のうちに神経が昂ったらしい。 だが――私の驚愕の原因はそれではなかった。 唇に薄笑いを浮かべて、年上の女子高生を口説いている少年の顔―― その顔は、死んでしまった息子の猛資と、そっくりだった! むろんのこと、表情は全然ちがう。猛資はあんなに卑しげな笑い方はしない。品のよい、おとなしい子で、ナンパなどというまねは逆立ちしたって出来なかったろう。しかし、顔立ちだけとってみれば、世の中にこれほど瓜ふたつの顔があるだろうかと思われるほどよく似ていた。背格好までほとんど同じである。 私は呆然自失して彼を見つめた。あたかも猛資の肉体に別の魂が宿ってよみがえったようなその少年を――。そうしているうち、私はまた別のあることに気づいた。今度こそ我を忘れて、思わず声にならない声を上げた。 ぺらぺらと口説き文句を並べ立てながら、せわしなく動いている少年の左手。その人差し指には、髑髏を象ったリングが鈍い光を放っていた。
2014/11/04(火) 00:11:58 |
月の裏側・久生
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――気がつくと、私は立ち上がっていた。 自覚はなかったが、おそらく、そのときの私の表情はひどいものだったのにちがいない。中学生グループのなかのひとりが近寄ってくる私に気づき、おびえたような顔をした。それが呼び水となって、少年たち、そして彼らに取り巻かれた数人の女子高生が、次々と私を見た。 リーダー格の少年も振り返った。つい今まで、薄い笑みを貼りつかせていた顔に、訝しげな表情が広がった。 『何か用かよ、おっさん』 突っ張った口調で少年が言った。先ほど、あの携帯動画で聞いたTの声と「よく似ている」と感じた彼の声は、もはや同じひとりの声として私の耳に認識された。私は返事もせずにいきなり少年の腕をとらえ、ぐいっと引っ張った。不意をつかれて少年はよろめいた。 『――何すんだよっ!』 憤怒を浮かべながら、こちらを睨みつけてくる少年。間近に迫ったその顔はいよいよ猛資とそっくりだった。形容できない戦慄を覚えながら、私は、彼にだけ聞こえるような小声で囁いた。 『私は藤島月子の夫だ』 少年の顔から血の気が引いた。 月子の夫であることを明かした言葉は、一時的にだが劇的な効果をもたらした。喪心した少年の手を強引に引っぱり、私は彼とふたりだけで話をするためにカフェの外へ連れ出した。急に様子のおかしくなったリーダーを目にして気勢をそがれたのか、残りの中学生たちはみな、ただ呆気にとられて佇むばかりだった。 だが、少年がおとなしくしていたのは、店の外に出るまでだった。 表通りへ出ると、少年はにわかに我に返って、私の手を振りほどこうともがき始めた。 『離せよ、畜生!』 膨れあがる怒りをしいて押し殺しながら、私は低い声で『そんなことを言える立場か。静かにしろ』と少年を脅した。だが、大声で怒鳴りつけるようなまねはしなかった。というよりも、できなかったのだ。時刻はすでに夕暮れ時を過ぎて夜の帳が下りかけたところ、この神保町界隈では行きかう人と車の群れが絶えることなくつづいている。路上で言い争う私たちに、通りがかった人々はハッキリと不審げな視線を向けていた。 (このまま騒ぎになって、警察でも呼ばれたらまずいな) そんな焦りが一瞬、私の注意力を鈍らせた。隙をついた少年はすかさず私の手を逃れ、パッと身を翻すと、そのまま一目散に表通りを駆け出した。 『ま――待て!』 慌てて少年のあとを追いかけようとした。そのとき、走り去る少年の尻ポケットから青色の物体が落ち、カランカランと音を立てながら道路を転がるのが目に入った。持ち物を落としたことに気づかなかったのか、もしくは拾うより逃げる方を優先したのか、少年は走りつづける。その背中はすぐに小さくなった。 私は身をかがめて、少年の落とし物を拾った。思ったとおり、それは携帯電話だった。 * * * * * 1時間後――。自宅へ戻ってからも、あのカフェで少年を目にしたときからの極度の興奮はまだ収まっていなかった。興奮という言い方は適切でないかもしれない。混乱という方が正しいかもしれない。夫に隠れて他の男と関係をもっていた妻が、その不倫を悟られてなお、けっして口にしようとはしなかった相手――ようやく突きとめたその相手は、まだ年端もいかぬ中学生であった! さらにいえば、妻は教師であり、少年は彼女が勤めていた学校の生徒だったのである。 もしも月子の失踪以前にこの関係が表沙汰になっていれば、彼女はよくて懲戒免職、わるければ新聞沙汰になったかもしれない。 「女性教師、教え子の中学生と淫行」――そんな見出しが脳裏をかすめて、私は慄然とした。 (月子のやつ、何て馬鹿なまねをしたんだ!) 今さらながら腹が立ってきた。しかし、妻の愚行を責めようにも、肝心の彼女はいま何処にいるのかもわからない。いなくなった月子は不倫相手のもとに身を寄せているのではないかという想像は、これまで幾度も頭に浮かんで私を苦しめてきたものだったが、その不倫相手が中学生となれば、同棲というのはちょっとありそうにない。 とはいえ――あの少年が月子の現在の居所を知っている可能性は依然としてある。 私は神保町で拾った携帯を取り出した。 都合のいいことに、私や月子が使っていたのと同じ機種だった。これならば機械音痴の私にも操作できる。 開けると、まず、サッカー選手らしい白人男性の壁紙があらわれた。私には誰だかわからなかったが、そんなことはもちろんどうでもいい。画面を切り替えて、所有者プロフィールを確認する。 持ち主の名前は簡単にわかった。 《寺島塔也》 なるほど―― 姓・名、どちらにせよ、Tだ。 さらに携帯を操作してアドレス帳を見たが、「藤島月子」の名前はなかった。月子がTと登録していたように、フルネームでは入れていないのかもしれない。そう思ってア行から順に見ていくうち、気になる名前を見つけた。 《Moon》 Moon――月である。 詳細を確認する。Moonの欄に登録されていたのは、かつて月子が使っていた携帯番号・アドレスと同一だった。やはり、Moonは月子のことらしい。しかし、それらの番号とアドレスは、不倫が発覚した9月末の夜、月子がみずからの手で携帯を処分したときから使用不可になったものである。 ということはつまり、この登録情報をもとに判断するかぎり、寺島塔也は私と同じく、月子の現在の連絡先を知らないことになる。その事実をはたして喜ぶべきか、落胆すべきなのか……私にはわからなかった。 画面を切り替えて、今度はメールをチェックすることにした。 寺島塔也から月子宛ての最初のメールは、その年の4月24日午後10時過ぎに送られていた。 《コンバンハー 先生いま何してんの? 俺は退屈で死にそう》 以前、月子の携帯で見たメールで、Tこと寺島塔也は、妻のことを「月子」と呼び捨てにしていた。だが、このときにはまだ「先生」と呼んでいる。つまり、まだふたりの関係はそれほど深まっていなかったのだ。 対する月子の返信は以下のとおりだった。 《今晩は。 私は明日の授業の準備をしているところです。 夕方も言ったけれど、アドレスを交換したからといって、あまり頻繁にメールを送ってきては駄目よ。 本来は禁じられていることなんだから。》 最初のうちはだいたいこのような感じで、寺島塔也のとくに内容のないメールに、月子が教師らしく落ち着いた言葉で返信をするのがお決まりのパターンとなっていた。やりとりの回数も3日に一度あるかないかというくらいである。 それでも目を通すうち、少しずつ寺島塔也という少年についてわかってきた。どうやら彼は、4月にM中学へ転校してきたばかりらしい。学年は2年生。転校後すぐに、月子が顧問教諭を務めていた美術部に入部している。 4月といえば、息子の死以来久しぶりに、月子の明るい表情を見る日が多くなった頃だ。メールを読み進めながら、私はようやく彼女の変化の要因に思い当たった気がした。 その時期、月子は、死んでしまった猛資にそっくりな子供を学校で見つけたのだ。申すまでもなく、転校生・寺島塔也である。見かけが瓜ふたつなだけでなく、年齢も中学2年生で死んだ猛資とぴったり同じ。これでは気にならない方がおかしい。 月子としては、傷口に塩を塗られるような痛みを覚えることもあっただろうが、それでも寺島塔也から目を離すことはできなかったにちがいない。そうして日々が過ぎるうち、やがて少年の存在は、月子のひそかな喜びの源泉に変わっていったのではないだろうか。あたかも永遠に失ってしまった息子が生き返ってふたたび姿をあらわしたかのように――。 そしてこれも私の推測だが、当の寺島塔也も、じぶんの一挙一動に熱っぽいまなざしを注いでいる女教師の存在に早くから気づいたにちがいない。転校直後で友達もまだろくにいない状況ではなおのこと、わるい気はしなかったはずだ。 カフェで見たときの印象では、寺島塔也はおよそ美術などに興味があるタイプとは思えなかった(偏見だろうか?)。そんな彼が美術部に入部したのは、顧問教諭である月子への関心が主な要因だった――と考える方が納得できる。 ふたりの距離はこのようにしてまず縮まった。急激に縮まった、といっていい。なぜなら本来、校則違反というようなことには人一倍厳しい教師だったはずの月子が、寺島塔也に対してはその禁を犯し、知り合って間もないうちにアドレス交換まで許しているのだから――。 とはいえ、当初のやりとりを見るかぎり、月子はあくまで一教師としての節度を保ちながら、堅くるしい態度で寺島塔也のメールに応じている。一方で、彼女の返信には、少年への隠しきれない情愛のようなものがところどころに窺えた。しかし、それは少なくとも最初のうちは、男女間の愛情というより、子供のことを心配する母親めいた感情だったようだ。 《ちゃんと食べてる?》 《きちんと栄養のあるものを取らなくては駄目よ。育ち盛りなんだから》 《お父さん、今夜も遅いの?》 どうやら寺島塔也という少年の家は父子家庭であるようだ。離婚か死別かは分からないが、ともかく彼は父親とふたりだけで暮らしており、しかもその父は毎日の帰りが遅いようである。月子がたびたび食事のことを話題にしているのは、この転校生がいつもひとりきりで夕食を取っているのに心を痛めているかららしい。 寺島塔也に対する月子の気持ちは、そもそもの始まりから、みずからの死んだ息子への思慕が変形したものだった。私はそのように思う。そして、彼女の母性的な愛情は、偶然にも塔也が〈母のいない子〉であったことから、なおさら高まっていったのかもしれない。 しかし―― メールのやりとりが始まって2週間後の、ちょうど5月のゴールデンウィークが過ぎた頃だ。ふたりの関係には新たな事件が起こっていた。
2014/11/04(火) 00:12:49 |
月の裏側・久生
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そのメールは5月8日の夜に送られていた。ゴールデンウィークが明けて2日後の、金曜日である。 送り主は月子だ。携帯でのやりとりが始まって以来、月子は寺島塔也からのメールに返信するばかりで、彼女の側から送ったものはこれが初めてだった。 《大丈夫? 熱はまだ下がらないの?》 ゴールデンウィークの終盤あたりに、寺島塔也は風邪をひいたらようだ。それが治らず、学校を2日つづけて休んだものだから、月子は心配してメールを送ったらしい。以下、ふたりのやりとりを書き記していくが、分かりやすいように、寺島塔也のメールにはT、月子のメールにはMoonの一字を取ってMと、それぞれ本文の前に表記しようと思う。 T 《熱は38度ちょっと。まだダルいわー》 M 《きちんと温かくして寝てなきゃ駄目よ。ご飯は食べた? お父さん、明日は家にいらっしゃるの?》 T 《カップラーメン食ったよ。親父はいないんじゃないかな。土曜日とか、いつも出掛けてるし》 どうもメールを見るかぎり、寺島塔也と彼の父親との関係はわりあい希薄なものであるらしかった。もっとも、父子家庭であることを抜きにして考えるなら、一般的な中学2年生の子供と父親なんてそんなものかもしれないとは思う。 私の場合はどうだったろうか。息子の猛資は幼い頃から本が好きで、そのあたりはたしかに小説家でもある私の血を引いていた。中学に入ってからの猛資は、時おり私の書斎にやってきて読んだ本の話を披露したり、また、私の小説についても色々訊いてきたりと、むしろ交流の機会は増えていたように思う。もっとも、母親の月子があまり細々とかまいすぎるので、私までそうなっては息子のために良くないと思い、あえてクールに接していたところはあったけれども――。 月子と寺島塔也とのやりとりに視線を返そう。塔也の返事は、当然ながら月子の心配を煽るようなものでしかなかった。そもそも息子に関することになると、月子はとんでもなく心配性になってしまう女だったが、わるいことにその癖は、塔也相手にも変わらず発揮されたようであった。 M 《そうなの…。困ったわねえ。お父さんに頼んで、明日くらいはお宅にいてもらえないかしらねえ》 べつに生徒のひとりが風邪になったくらいで、本来なら月子が「困る」必要はまったくないのだが、彼女は明らかに本気でそう思っている。私にはそれが本当に腹立たしく、そして切なかった。その切なさの正体がどういう種類の感情なのか、私には判然としなかったが――。 だが、そんな私の気持ちを逆撫でするようなことを、寺島塔也は次のメールで言い出すのである。 T 《いいよ、べつに。親父がいたら、具合がよくなるってもんでもないし。それよりさ、先生がうちに来てくれない?》 M 《それは…駄目よ。できれば行ってあげたいけど、無理です》 T 《なんで?》 M 《なんでって…私は教師だし、あなたは生徒だわ。教師が軽々しく生徒のお宅に行くというのは問題だと思うの。それも、お父さんがいらっしゃらないときに》 T 《キョーシだって生徒のお見舞いくらいしたっていいじゃん。べつに看病してほしいってわけじゃないんだよ。ここ2、3日、誰とも話してないからさー。さびしいんだよ》 《家に来て》と頼む少年と、《できない》とためらいがちに拒否する月子の問答は、それからも数通のメールの往復で繰り返された。 (馬鹿なまねはよせ! これ以上、そいつと関わるんじゃない) じぶんのあずかり知らぬところで行われていたやりとりを、半年以上もあとになって眺めながら、私は胸のうちでそう叫ばずにいられなかった。けれど、月子が寺島塔也に猛資の面影を見ていたという推測が正しいならば、これは最初から結果の見えていた問答といってもいい。なぜなら彼女は、弱った息子の頼みをはねつけられるような種類の女――母ではなかったからだ。 メールの往復の結果、私が懸念したとおり、月子はとうとう翌日の5月9日に寺島家を訪問することを承諾してしまった。 9日は土曜日だから私も在宅だったはずだが、月子がいつ出掛けていったのか、今となってはまったく記憶にない。いつものように、書斎に籠って小説書きに没頭していたのだろう。つくづく間抜けな亭主であった――というほかない。 ともかくも、月子は少年がひとり寝ている家を訪ねた。そして、そこで何かが起こったらしい。メールの記録だけでは、そのあたりの出来事が詳しくはわからない。 ただ、翌10日のメールを見ると、薄々の事情は知れる。 T 《先生、怒ってるの?》 第三者の目から見ると、いかにも唐突な言葉である。受け取った月子は、数時間後、《怒ってます》と短く返していた。 T 《ごめんって。先生にヤな思いさせる気はなかったんだよ。でも、俺、先生のこと好きだから、つい…》 M 《やめて。軽々しくそういうことを言わないで。わたしはそんなつもりじゃなかった。あなたのうちに行ったのだって、ただ、あなたのことが心配だったからなのに。それなのに、あんなことをするなんて》 T 《だからごめんって。先生が来てくれたのマジでうれしかったからさ。つい調子に乗っちゃったんだよ。ホント、ごめん》 最後のメールに対して、月子は返信していない。 9日に何があったのか? おそらくは見舞いに行って、あれこれと世話をやく女教師に対して、病で弱っていたはずのこの少年は何かよからぬことをしたのだ。 塔也のメールの調子を見るかぎり、それはおそらくレイプというようなところまではいかなかっただろう。不意をついて月子の身体をさわったのか、あるいはキスでも仕掛けたのか――いずれにせよ、性的なことにはちがいない。亡き息子そっくりの少年に対して強い母性を感じていた月子にとって、その少年から性的な振る舞いをされるというのは、あまりにも思いがけない事態であったのだろう。短い文面からでも彼女が激しく動揺したことが窺える。 この一件は、それまで教師と生徒の体裁を保っていたふたりの関係を根底から揺るがした。 土日が明けて翌週に入ってからも、月子は、学校で寺島塔也のことを無視したらしい。寺島塔也は、じぶんが無視されているのをわかって、しばらくは月子のそんな扱いに甘んじていたようだ。携帯でのやりとりもしばらく途絶えて、次のメールは13日水曜日の夜8時頃に送信されている。 T 《いつまで無視するん? 俺のこときらいになったの?》 つづけておよそ30分後、寺島塔也は新しいメールを送っている。 T 《いま先生の家の近くの公園で待ってる。直接会って話を聞いてよ》 まだ関係がもつれていなかった頃に訊いたのだろうが、すでに寺島塔也は、月子の自宅の場所を把握していたようだ。それはともかく、月子はこのメールを受け取ったあとも、しばらく返信していない。単に確認が遅れたのかもしれないし、あるいは学校で無視を決め込んでいたように、今後はメールのやりとりも拒絶する気でいたのかもしれない。 月子が次にメールを送信したのは、同じ13日の夜10時すこし過ぎ、塔也から、《まだ公園で待ってる。来てくれるまで帰らないから》という一通を受け取ってからだ。 M 《もう帰って。私、あなたと会うつもりはないの。主人だって家にいるのよ。こんな夜遅くに出掛けるわけにはいきません。あなただって、早く帰らないと、お父さんが心配するわ。だから早く帰って》 対する塔也の返信は、《先生が来てくれるまで帰るつもりないから》の一言だった。 ――ここまで読み進めて、ふと私の脳裏に、ある記憶がよみがえってきた。 あれは5月のある宵だった。前日に原稿を書き終えていた私は、その晩、珍しくゆったりした気分で、酒を飲みながらレンタルの映画を見ていた。月子もかたわらに座っていたのだが、何だか妙にそわそわとした様子で、何度も席を立っては台所へ姿を消す。 やがて彼女は遠慮がちな口調で言い出した。 『ちょっと出てきていいかしら。明日の授業で使う資料を、コンビニでコピーしてきたいの』 たしかにその頃、自宅のコピー機は故障中で買い替えを検討していたのだが、それにしたって時刻はもう夜の11時を回っている。私は驚いて、『明日の朝、学校でコピーしたらいいじゃないか。それじゃ駄目なのかい?』と言った。 『明日の朝は別件でバタバタしそうだから、どうしても今夜中に準備しておきたいの』 『わかったよ。僕もコンビニまでついていこうか? こんな夜中じゃ心配だ』 『大丈夫。すぐ戻ってくるから』 そうして妻は出ていき、帰ってきたのは、それからたっぷり1時間近くも過ぎてからだった。『資料の量が多くて手間取ってしまったの……ごめんなさい』と月子は謝った。 心配して待っていた私は、珍しく彼女を叱りつけた記憶がある。いつにない出来事だったから、印象に残っていたのだ。 正確な日時は忘れてしまっていたが、あれこそ13日の晩の出来事だったのだろう。ようするに、月子はいてもたってもいられずにとうとう出掛けていき、少年と会ったのだ。 その夜、ふたりのあいだにどんな話し合いがあったのかはわからない。以降のメールからわかるのは、寺島塔也はこの一夜を最後に月子へのアプローチをやめるどころか、いよいよ臆面もなく彼女に言い寄るようになったことだ。 反対に、月子はその夜を境としてハッキリと脆くなった。教師としての態度を保とうとする堅固な意志は崩れて、女としての弱さが剥き出しになっていったのだ。
2014/11/04(火) 00:13:42 |
月の裏側・久生
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M 《ねえ、お願いだから、きょうのようなまねを学校でするのはやめて。 もしも誰かに見られたら、私もあなたも困ったことになるのよ》 寺島塔也に呼び出されて公園で“密会”した夜から2日後の、5月15日。月子はこんな内容のメールを送っていた。 T 《きょうのようなまねって?》 M 《昼休み、美術準備室でのことです。わかっているくせに》 T 《話をしただけじゃん》 M 《その話の内容が問題なの。もしも他の生徒や先生に聞かれたら大変なことになるわ》 T 《だって直接会って話さないと、先生、メールだとあれこれ理屈つけて逃げそうだもん》 M 《逃げるなんて…》 T 《何度も言うけど、俺、先生のこと好きだから。ちゃんと相手してもらいたいんだ》 M 《いいかげんにからかうのはよして。 私の齢、知っているわね。38歳です。あなたのお父さんと同じ年代なのよ》 T 《そんなの関係ないって。 先生、見た目若いし美人だもん。胸だってすごくでかいし。魅力的だよ。 俺の周りの男子もみんなそう言ってる》 M 《やめて。そんな話聞きたくありません》 つい数日前まで、無視し無視されていたはずのふたりの関係。それがいまや寺島塔也はいっそう大胆となり、あろうことか昼間の学校で月子を訪ねて、周囲に「聞かれたら大変なことになる」台詞まで口にしている。この前まで無視していた側の月子の方が、しどろもどろになっている印象だ。 13日の夜、ふたりがどんな話をしたのかはわからない。明らかなのは、あの晩、夜が更けるまでじぶんを待っていた塔也を拒みきれず、ついに公園へ駆けつけてしまったときから、すでに月子には脆さがあらわれていたことだ。そしておそらくは反対に、塔也の方は自信をつけたのだ。 それにしても――と、私はあらためて考え込んでしまう。寺島塔也の正確な年齢はわからないが、中学2年生ということは今年でやっと14歳だろう。その塔也と「38歳」の月子では、たしかに親子ほどの年齢差がある。常識的にみれば中学2年の少年が38歳の女に執着するなどありえそうにないが、単純にそうとばかりも言い切れない。 先述したように、離婚か死別かはわからないけれども、とにかく寺島塔也はじぶんの母と別れて暮らしているらしい。月子が塔也に亡き息子の面影を求めたように、塔也もまた無意識のうち、月子に母親の面影を求めたのだと考えられなくはない。母との死別あるいは離別の経験が、少年の内面に年上の女性への憧れを育てる――とは、よく耳にする話である。 だが一方で、寺島塔也のメールを見るかぎり、憧れなどという耳ざわりのいい言葉は甚だ似つかわしくない。明らかに彼は月子を〈母の代わり〉などではなく、ひとりの〈おんな〉として見ている。「胸だってすごくでかいし」という野卑な一文にあらわれているように、性的関心を隠そうともしていないのだ。 15日以降も、ふたりのあいだでは似たようなやりとりが何度も繰り返されていた。日が経つにつれて塔也のアプローチはいよいよ露骨になっていき、反対に、月子の態度からはますますつよさが失われていった。 M 《あなたのことは大切に思っています。でも、それは教師と生徒としてなの》 M 《お願い、これ以上困らせないで。私だってつらいのよ》 M 《私は結婚していて主人がいるのよ。裏切れないわ。どうか、わかって》 私は思わずため息をついた。 月子は――これほど弱い女だったろうか。 私が昔からよく知る彼女は、毅然とした性格の持ち主であり、言うべきことは相手が誰であれ言ってのける女だった。いちど決めたことは貫く意志の強さをもっていた。じじつ、13日の夜までは、教師と生徒の垣根を越えようとした寺島塔也に対してキッパリと拒絶の態度を取っていたのだ。にもかかわらず、それは一晩でぐらついて、いまや、あたかも懇願するような、受け身一方の物言いになってしまっている。 いったいぜんたい、月子にとって寺島塔也という少年はどういう存在だったのだろう。 私には想像するほか手だてがない。 ひとりの女がいる。彼女は人並みはずれて母性愛がつよいタイプで、一粒種の息子を深く愛していたが、その子は不意の事故で急逝してしまう。女は嘆き悲しむが、やがて彼女の前に、死んだ息子そっくりの少年があらわれる。女は教師をしており、少年は彼女の勤める学校の転入生だった。息子の面影を宿す彼に、女はつよく惹きつけられる…。 だがある日、運命の急転が訪れる。わが子と双子のようによく似たその少年が、あろうことか、彼女に言い寄ってきたのだ。 女はおどろき、ショックを受けた。とはいえ、つい今まで少年に抱いていた好意が、それで一直線に嫌悪へとスライドしたわけではあるまい。しかし、女の〈倫理〉は彼女に拒絶を命じる。当然だろう。まず第一に、彼女には夫がいる。第二に、相手は彼女の教え子であり、まだ十代前半の少年である。第三に――少年の容貌は亡き息子と瓜ふたつなのである。 いうなればこの少年は、女にとって三重の禁忌に阻まれた相手なのだ。 けれども女の内面には、亡き息子への尽きせぬ哀惜の念に端を発する、少年への愛情が依然として残っている。必然的に、彼女の拒絶はどうにも徹底を欠いたものとなってしまう。 そんな女の弱さを見抜いて、押しの強い少年の求愛はなおもつづき、しかも次第に勢いを増していく。彼女が少年に〈息子〉を見ていたのと異なり、少年は彼女を〈おんな〉として欲している。いうまでもなく、後者の視線には性的なニュアンスがある。〈息子〉に〈おんな〉として求められる――それはどういう心理状態を彼女にもたらしていったのか? ――わからない。それは私の貧困な想像力の限度を超えていた。 わかっているのは、最終的に、女――月子が引き返すことのできない道をずるずると進んでいったということだ。 月子と寺島塔也の関係にふたたび具体的な事件が起こったのは、5月23日であったようだ。メールにはその証拠がハッキリと残されていた。 最初の一通は、寺島塔也からの《先生、いま何してるの?》という何気ないものである。それに対して、月子は《落ち込んでいます》と返している。 ここまではいい。しかし以降の流れは、私の心臓に打撃を与えずにはおかないものであった。次の塔也のメールはこんな文面だったのだ――《きょう、キスしたことを気にしてるの?》 M 《……そうよ。それだけじゃないわ。身体もさわられました》 T 《先生がさわらせてくれたんだろう》 M 《そんな言い方やめて。あなたが、キスをしながら、無理やりさわったんでしょう》 T 《でも先生だって逃げなかったじゃん。抵抗しようとすればできたでしょ?》 M 《それは、だってあんなところでいきなりされたから、驚いて》 T 《びっくりして、力が抜けちゃったの?》 M 《からかわないでちょうだい》 T 《からかってないよ。先生可愛いって思ってるだけ》 M 《学校であんなことをしてしまうなんて……私、最低だわ。じぶんが羞ずかしい》 T 《明日もしようか?》 M 《そういうこと言うの、よして。 家に帰ってから、私、いちども主人の顔をまともに見られないのよ》 T 《わかったよ、ごめん》 この日のやりとりはここで途切れていた。
2014/11/04(火) 00:15:14 |
月の裏側・久生
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