主に寝取られ物を集めた、個人文庫です。
居間に入ると、コーヒーの香りが鼻腔をくすぐった。
朝の香りだ。
和洋はあくびをひとつして、ソファに身体を沈めた。
「寝ぼすけさん。まだ二日酔いが残ってるの?」
ブラックコーヒーの並々と入ったカップをテーブルに置きながら、妻の瑛子が呆れたように言った。
「年々、身体がきつくなる。もう歳だな」
苦虫を噛み潰したような顔をして、和洋はカップに口をつけた。
「最近、そんなこと言ってばっかりね」
「他人ごとじゃないぜ。僕が歳をとれば、君だって同じだけ歳をとっていく」
言いながら和洋は、それでもこの妻に関しては歳月の進みが遅いと感じている。白のTシャツに薄青のスラックスというシンプルな装いの内側にある肢体は、出会った頃と同じまま、すらりとしている。
「そうね。でも、あの子が大人になるまでは、お互い、元気でいましょう」
瑛子がふっとした笑みを見せたその瞬間、まるで計ったように、娘の璃子が階段を駆け下りてくる軽やかな足音が響いてきた。和洋と瑛子は一瞬同じように音の近づいてくる方を見て、それから顔を見合わせて何となく笑った。
「あーもう、髪くしゃくしゃでいやんなる。お母さん、きょうは朝ご飯いいよ。食べる時間ないもん」
寝起きのむくんだ目を不機嫌に細めながら、璃子は居間に入ってきた。「あ、お父さん、おはよー」
「おはよう」と応えながら和洋は、「この娘は毎朝、おれを見るたびに『あ、お父さん』と言うな」と思った。
今年、中学3年生。中高一貫校に通っているため、最上級生とはいえ呑気なものだ。柔らかな黒髪とぱっちりした目は、母親似。寝起きの悪さは父親譲りである。
「何言ってるの。ダメよ、朝食摂らないと、頭働かないんだから」
「頭働いてたって、どうせ成績は変わんないよ」
憎まれ口を叩き、璃子はぱたぱたと洗面所に消えていく。
「何よ、髪くらいで大騒ぎしちゃって」
「君だって若い頃はああだったろう」
「何よ、お爺ちゃんみたいなこと言って」
いけない、怒りの矢がこっちにも飛んできた。
瀬戸和洋は46歳、妻の瑛子は44歳である。
二人の出会いは今から16年前にさかのぼる。かといって別に派手なドラマがあるわけではない。当時、瑛子はOLをしながら趣味で書道教室に通っていて、その師範が和洋の叔母だったのだ。「いい子がいるから、紹介してあげる」と叔母に言われ、なかば嫌々会いにいったのが、その日のうちに惚れてしまったのだから、和洋は単純な男である。
瑛子の方はそれほど単純ではなく、当初は和洋との付き合いに消極的だった。お調子者の叔母は、自ら二人をくっつけようとしておきながら、「あの子、あんなに綺麗で性格もいいのに、彼氏がいるって話を聞いたことがないのよ。たぶん昔、大失恋したのね。あんたも大変ねえ」などと無責任なことを言った。
しかし、和洋があの手この手を使ってデートに誘ううち、次第に距離は近づいて、堅かった表情もいつしかするりとほぐれ、瑛子は柔らかな笑みを見せるようになった。
その笑顔に、和洋はまた惚れた。
出会って1年後、二人は結婚した。翌年には娘の璃子が生まれた。当時、和洋が務めていた会社が倒産したこともあって、決して順風満帆の船出ではなかったが、夫婦はともに歩んできた。出会いの頃、至極おとなしかった女は妻になり、母になって、いつの間にか気の強さもたびたび見せるようになった。そのことにも、和洋は満足していた。
- 2014/11/28(金) 07:18:42|
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和洋はN電気に務めている。
もともとは技術畑の人間であったのが、中年を超えてから営業の管理職にまわされた。本人としては、ずっと新製品開発の現場に携わっていたかったのだが、会社の命令では仕方ない。
仕方ない――のだが、しかし2月の人事で大阪への異動が言い渡された時には、さすがに渋い顔になった。
「3年したら、本社に戻すから。今、大阪支社が業績悪化で大変なのは知っているだろう? 会社としては君の手腕に大変期待をしておるんだ」
人事の上役からは、同情を込めた口調でそう言われた。
(3年か・・・)
長いな、と和洋は思う。
春からは璃子も高校生になる。これからいよいよ成長し、やがては親元から離れていく前の時期に、一人娘と一緒に過ごせないというのは、人生の大きな損失に感じてしまう。
その前に忘れられてしまうかもな――
冗談混じりに考え、和洋は誰にも見られないように、くすりとわらった。
「3年は長いわね」
和洋の報告を聞いた瑛子は、すっと眉を寄せて考え込むような表情をした。
異動を言い渡された時は娘のことばかり考えたが、思えば結婚して16年、妻と離れて暮らしたことはない。一緒に寝起きすることが自然になりすぎて、この妻とも離れて暮らすことになることに思いがいたらなかった。
「璃子も高校生になるし、大変な時期に迷惑を掛ける」
「あなたが謝ることじゃないわよ」瑛子は少し怒ったような声で言い、それから無意識じみた仕草で和洋のネクタイにそっと触れた。
次に顔を上げた時、瑛子はわらっていた。
「迷惑なんかじゃなくて…。ただ、あなたが気の毒なのと、わたしが淋しいだけ。もちろん璃子も」
とっさに言葉が出てこない和洋に、瑛子はすっと背伸びして顔を寄せ、軽く口づけた。それからもう一度、照れたような笑みを見せて、ぱたぱたと台所へ戻っていく。
「うわーラブラブー」
ふと背後から声がして振り向くと、璃子がバスタオルで髪を拭きながら、にやにやとした悪戯な顔で立っていた。
「お前、見てたのか」
「見てたよ。――あ、しまった、携帯持ってたら写メ撮ったのに」
「何言ってんだ」
あきれ声を出す和洋に背を向けて、璃子はぶらぶらと居間に向かいながら、「でも淋しいなー。お父さんがいなくなるなんて」と、すねた子供じみた口ぶりでつぶやいた。
「いなくなるわけじゃない。週末にはちょくちょく戻ってくるさ」
「わたしも大阪に遊びに行っていい?」
「いつでも。お母さんと一緒に来なさい」
「それはダメよ。ラブラブなふたりの邪魔したくないもん」
「ばか」
舌打ちしつつも、和洋の胸にはじんわりと温かいものが湧いていた。
- 2014/11/28(金) 07:20:40|
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その年度の終わりも押し迫った夜のことだ。
和洋と瑛子はふたり揃って、N電気の主催するパーティーに出席した。
「大阪かー、大変だね、瀬戸君も」
「こんなにきれいな奥さんとかわいい娘さんを置いて。つらいなあ」
普段、質素な暮らしをしているので、こんな時こそ豪華な食事に酒を楽しみたいところだが、今度の異動の話を聞いている先輩社員が次々と声をかけてきて、そんな暇もない。こんな時、瑛子は微笑を絶やさず、実に如才なく振る舞う。OL時代の経験がいまだに生きているのだろう。
と――
思いがけない人物がいた。
背が高く、がっしりとした男っぽい体格をしている。年齢は和洋よりもひとまわりほど上のようだが、厳しい顔つきにみなぎる精気はとても若々しい。スマートに着こなしたタキシードの板のつきようが、ちょっと外人のよう。
フィート本社の武仲専務だ。
フィートは家電製品販売の大手で、もちろんN電気との関係も深い。営業課に籍を置く身としては、専務の武仲ともむろん面識はある。
武仲も和洋に気がついて、かるく手を挙げ、グラス片手に近寄ってきた。
「元気そうじゃないか」
「お久しぶりです」
「聞いたよ。今度、大阪へ行くそうだね」
「まあ、3年ほどです」
言いながら和洋は、隣の瑛子を紹介しようとした。
だが――
和洋は驚いた。なぜなら瑛子は明らかに驚愕した表情で、その大きな双眸を開き、武仲を見つめていたからだ。
「驚いたな――」
その台詞は武仲から出た。「木内君じゃないか」
「あ……」瑛子は夢から醒めた人のように、落ち着かなげな瞬きをした。「お久しぶりです、武仲部長」
――部長?
「ははは、瀬戸君が混乱しているようだ。――説明しよう。私は昔、別会社に勤めていて、中途で今の会社に引き抜かれたんだ。瑛子さんは前の会社で私の部下だったのだよ」武仲はふっと視線を瑛子の左手に移し、そこにきらりと光る指輪を見た(なぜかその時、瑛子は動揺したような仕草で、右手で隠すように指輪に触れた)。「退職後に結婚したというのは風の噂で知っていたが、まさか君のワイフだったとはね」
武仲は感慨深げに言った。
- 2014/11/28(金) 07:21:28|
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パーティーも佳境を迎えたころ、和洋はふと傍らの妻を見て、びっくりした。瑛子は酷く蒼褪めた顔色をしていた。
「どうしたんだ? 気分でも悪いのかい」
もともと酒の強い女ではないが、しかし今日は申し訳程度にしか飲んでいないはずだった。
「ううん、久々ににぎやかな場所に来たから、たぶん人に酔ってしまったんだわ」
健気にもにこりと微笑んで瑛子は応じるが、やはり無理をしているように感じられた。
「もう帰ろうか――いや、ごめん。この後にスピーチをしなければならない予定になっていた。それが終わったらすぐ戻ろう」
「気にしないで。でも、ちょっとお手洗いに行ってくるわね」
あなたはスピーチに集中してね――そう言って、瑛子はまた軽く微笑し、頼りない足取りで会場出口へと歩いていく。ついていってやりたかったが、まさにその時、和洋は名前を呼ばれて、ステージ袖に連れていかれた。
出番を待ちながら、和洋は先ほどの武仲との会話を思い出していた。
『木内さん、いや、瑛子さんとお呼びしましょうか。ともかく、あなたの奥さんのような有能な部下を持てて、当時の私は幸せな上司でしたよ。これはお世辞ではありません。本当にずいぶんと――楽しませてもらいました』
妻の旧姓である木内から名に呼称を改め、そんなふうに昔を語る武仲の口元には、薄らとした笑みが浮かんでいた。
瑛子は何かにはっとしたように一瞬、瞳の黒を大きくしたが、すぐに、『いいえ、当時はご迷惑ばかりお掛けして……まるでいたらない部下でした。部長にはいつもかばっていただいて、本当にありがとうございました』と言って頭を下げた。その声音は普段よりも幾分か低いように感じられた。
武仲は和洋の方を向いた。
『幸せ者といえば、あなたがそうですな、瀬戸さん。瑛子さんはそのころ、社内の男どものアイドルだったのですよ。そのアイドルをあなたは射止めたんだ。お子さんはいらっしゃるのですか?』
『娘が一人おります。今度、高校1年生になります』
『ほう、それはそれは。さぞ可愛がっておられるのでしょう』
『まあ可愛がってはいるつもりですが、娘もこのくらいの歳になれば憎たらしいばかりですよ』
おどけたように言う和洋に、武仲は『ふふふ』と小さくわらった。
『けっこうじゃないですか。私などはついに子供を一人も持つことなく、そればかりか数年前には妻もなくしてしまいました。といっても、死別ではありませんよ』
離婚したのか。口には出さず和洋が思った瞬間、
『奥様とお別れになったのですか?』
そう声に出したのは瑛子だった。和洋が少し驚いて彼女を見ると、瑛子はさっと顔色を変えて、『すみません。余計なことを言って』と謝った。
『いや、気にすることはない。その通りなのだから』
武仲は鷹揚な表情でうなずく。その瞳にはやはり、薄らとした笑みが浮かんでいた――。
「皆様、すこしの間こちらにご注目お願いします――」
和洋は壇上に立った。いくら歳をくっても、営業としてのキャリアを重ねても、スピーチというものは緊張する。やはり自分は技術畑の人間なのだ。大量の視線を意識しまいと、あえて天井のシャンデリアを見つめながら、和洋はそんなことを考えた。
「――業界を取り巻く状況が刻々と変化を迎えているこの折に、私もまた、大阪という新たな土地で、己の力量を試す良い機会をいただいたと――」
覚えてきた文句を繰り返しながら、盛装した男女の群れ集う華やかな会場を和洋は見渡す。
ふと――
会場後方の片隅に、シックな紺のドレスを着た人影が見えた。あれは――瑛子だ。
その正面に立っているのは――あの大柄な体格は――武仲か?
「――私どもの仕事は、絶えず売上げとのにらめっこですが、しかしその傍らには常に、創業以来の理念である『幸福のクリエイト』を置きつつ――」
ふたりは何か話をしているようだが、もちろんその表情までは見えない。
瑛子の具合は良くなったのだろうか?
そういえば――先ほどの武仲は妙な発言をしたような気がする。あれは何だったろう。そうだ、彼は部下であったOL時代の妻を褒めながら、こう言ったのだ。――ずいぶん楽しませてもらった、と。考えてみれば、どうにも意味の判然としない言葉だ。
「――それでは、皆様のご健勝を祈念して乾杯いたします。ご唱和よろしくお願いします。――乾杯!」
「乾杯!」の大合唱。和洋は掲げた杯に口をつけた。その杯を下ろしたとき、もう会場の後ろに武仲の姿はなく、なぜか出入り口の方を向いている妻の背中だけがあった。
- 2014/11/28(金) 07:22:23|
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いよいよ明日は大阪天王寺のマンションへ引っ越すという日、とりあえず廊下に置いた荷物入りの段ボールを眺めて、和洋は溜め息をついた。
「ちょっと荷物が多すぎるんじゃないか。食器なんか持っていっても、どうせ料理なんか作らないよ」
「私が作るのよ。週末にはちょくちょく行くつもりなんだから。きれいに片づけておいてね」
朗らかに答える瑛子の声に、和洋はもう一度溜め息をこぼした。今度は苦笑も込めて。
先日のパーティーに出席した夜から数日、妻はどこか沈んだ様子を見せたり、かと思えば不自然に明るかったりと、妙に落ち着かない様子だった。しかし、この時はもう元の妻に戻っていた。
「明日、荷物を運び終えたら、ベッドを買いに行かなきゃ」
「ベッドねえ。必要なのかな」
「あの部屋の感じだと、布団はおかしいわよ」
「それならダブルベッドを買うか」
「何言ってるの、ばか」
「だって君もちょくちょく来るんだろう?」
洗濯物をたたんでいる妻の肩を、和洋はそっと引き寄せた。
時刻は午後2時。璃子は友達と遊びに出掛けて、いない。
何か言おうとした瑛子の唇を、和洋の唇がふさぐ。そのまましばらく、和洋はじっとしていたし、瑛子も静かに身を任せた。時計の秒針が時を刻む音だけが寂とした部屋に響き、窓から差し込むやや春めいてきた日差しは暖かかった。
瑛子が身を離す。「まだ、昼間じゃない――」。そう、つぶやくように言った妻の、わずかに乱れた前髪に隠された瞳は、悪戯な光をたたえていた。
「いいじゃないか。最後の晩餐だよ」
「なあに、それ」
「君は最高に美味しそうってことさ」
和洋は瑛子の手を取って立ち上がらせると、そのまま夫妻の寝室へと連れて行った。瑛子も逆らいはしなかった。部屋に入り、またしばし抱き合った後で、二人はむしろ言葉少なに衣服をほどき始めた。
娘が大きくなってからというもの、夫婦の営みは格段に減っている。まして自宅でのセックスとなると、この数年間でも数えるほどしかしていなかった。それだけにまだ日も高い昼のうち、白くかがやくような裸身があらわになっていくのを見て、和洋は疼くような昂りを覚えた。
「あんまりじろじろ見ないで」
ベッドに横たわった和洋の顔に、瑛子は脱ぎさった白のブラウスをぱさりとかけた。石鹸のにおいにまじって、なつかしいような彼女の残り香が鼻腔に広がった。
白い布に視界を閉ざされたままでいると、女の手がそっと下腹部に触れる感触がした。その手は温かみを確かめるような仕草で和洋の肌を撫ぜ、やがて突き立った男性自身を包む。
不意に、その部分に柔らかい女の息がかかった。次の瞬間、和洋は妻に含まれていた。
セックスでは常に受け身の妻が口を使うことは珍しかった。期せずして、先ほど自身が口にした「最後の晩餐」という言葉が頭をよぎる。もっとも、いま食べられているのは和洋だった。
付け根のあたりを唇で締めつけつつ、敏感な部分を柔弱な舌先が細やかに伝っていく。淫靡というのとは少し違う、情愛のこもった口技。噴きこぼれる吐息の熱さが、和洋を駆り立てる。
やがて妻は一度唇を離し、芯の入った肉柱の硬さを確かめるように頬をぴったりと寄せた。それから愛おしむような仕草でその柱をつかむと、ゆっくりと自らをあてがっていった。和洋をくるんだ瞬間、妻のそこは羞じるようにきゅっと収縮した。
「もう目隠しを取ってもいいかな」
「だめよ。見ないで」
前屈みに身体を倒し、瑛子は和洋の胸に覆いかぶさった。餅のように柔らかな乳房が押し付けられる。小鳥が餌をついばむ感じで、和洋の胸板から唇にかけて瑛子がキスをする。今日の妻は珍しく女豹じみていた。ずいぶんと可愛い女豹だ。和洋の恋女房だ。
くいっくいっと一定のリズムを刻みながら、和洋を包んだ瑛子の尻が浮き沈みする。
音も立てず、顔をおおっていたブラウスが落ちる。
和洋の目の前に、妻の顔がある。とろりと潤んだまなざし。頬だけが林檎のように紅潮し、薄らとかいた汗でひかっていた。
「好きだ」
前後の脈絡なく、和洋はつぶやいていた。そう告げた瞬間、妻の膣がまたきゅっと収縮するのが分かった。
「君が、好きだ」
和洋はもう一度言った。瑛子はいやいやをするように頸を振った。しかし和洋を熱くつかんで放さないその部分だけは、まるで痙攣するように幾度も締めつけを繰り返した。
それは幸福な午後だった。そしてある意味では間違いなく、「最後の晩餐」でもあったのかもしれない。
- 2014/11/28(金) 07:23:44|
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――第2幕――
熱々の串揚げを頬張った口内に、きんと冷えたビールが心地よかった。
「どうだこの店、なかなかうまいだろう」
わがことのように自慢するのは、会社の同僚の堺だ。つるりとした禿頭に愛嬌のある大きな目、そして太鼓腹と、ちょっと見は狸に似ている。今の和洋にとっては、身近にいる数少ない友人であった。
「しかしあんたが大阪にいるのも、あとひと月か――」
和洋が大阪に単身赴任してから、もうすぐ3年が経過しようとしている。
その間、不況はなかなか回復の兆しを見せず、家電業界も冷え込む一途で、N電気の大坂支社は依然厳しい状況下に置かれていた。業績改善を期待されて本社から来た人間としては辛い歳月だったが、和洋は精いっぱい声を上げて社内の士気を鼓舞しつつ、現場の声を拾い集めてよりシステマチックな営業形態を構築することに心を砕いた。その甲斐があったかどうかはまだ分からない。種を植えても芽が出るのには時間がかかる。しかし悔いはなかった。それだけ「全力を出しきった」と言えるのも、ここにいる堺の助けがあったからで、だから和洋は目の前の男に心から感謝していた。
「あんたがいなくなると、寂しがる人間がたくさんいるよ」
「そんなことはないさ。うるさいのがいなくなって、ほっとするだろう」
和洋はにやりと笑って、空になった堺のジョッキにビールを注いだ。
「ちがうんだよなあ」
ジョッキを乾した堺は、はや目もとが赤くなっていた。この男は呑むペースが尋常でなく早いのだが、酔うペースもまた早い。
「ちがうって、何が」
「あんた、普段おおきな声を出すことないだろう? わたしみたいな生まれつき胴間声の人間がガミガミ言うのと、あんたみたいなもの静かなタイプが大声出すのとでは、響き方が全然違うんだよ。まあ、人徳というものなのかな。それにあんたは根っ子が営業じゃないからか、視野が広い。物事を客観的に見られる。若い者の言うことにもきちんと耳を貸す――」
「今日はいつにもまして酔い方が早いようだね」
「茶化すない。要するに言いたいことはだ、あんたが大阪に来てくれてよかったということだよ。わたしだけの意見じゃない。大勢がそう思っている」
酔って饒舌になっていることはたしかだったが、それでも真情のこもった堺の言葉に、和洋は気持ちを慰められた。「ありがとう」と心から礼を言った。
「でも、なんだか別れの夜みたいだな」
「はは、たしかに」堺は豪快にわらって、右の掌で汗をかいた額をぴしゃりと打った。それから、妙にしんみりした顔になる。「しかし、あんたにとっては長い3年間だったろう。かわいい奥さんとお嬢さんを残してきているんだものな」
和洋はわずかに笑みを見せたが、何も言わなかった。というのも、そんなことを言う堺自身は5年前に離婚しており、元妻についていったひとり息子とも、ずいぶん会っていないと話に聞いていたからだ。
「娘さん、大学受験はもう終わったのかい」
「うん、つい先日ね。国公立を受ける学力はまったくないから、関東近辺の私大に絞って受験しているよ。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる考えでね」
憎まれ口をたたくものの、和洋の胸には後悔があった。大学受験という節目のイベントを迎えた娘のそばに、ついていてやれなかったことだ。もとから勉強の好きな子ではなかったから無理もないが、今のところ受けた大学はすべて滑り、瑛子の話によれば、かなりナイーブになっているらしい。
そう、堺が言ったように、3年は長かった――。この間、和洋は休む暇なく働いて、週末になっても東京の自宅に戻れる日は少なかったし、瑛子は瑛子で、和洋が自宅を出てから、ずっとやめていたピアノの教室にまた通い始めたり、スイミングを始めたりと、人が変わったように趣味に打ち込み始めた。『璃子も部活やら友達づきあいやらで家にいないことが多いし、あなたも毎週帰ってこられるわけじゃないから、ね。それにあなたと結婚してからわたし、専業主婦の立場に甘えて、何かにあたらしくチャレンジすることをやめてしまっていたと、最近考えるようになったの。それってやっぱり寂しい人生かなって』とは、当時の瑛子の弁である。
それはそうかもしれない、と自身、趣味らしい趣味を持たない和洋は思った。だが、彼は自分が働いて、家に帰れば妻と娘が待っているという生活に100パーセント満足していたから、妻の『淋しい人生』という言葉に少々動揺もした。
とはいえ、瑛子も家にいてばかりでは退屈だろうから和洋も賛成したが、その結果、先々であらたな友人ができ、付き合いも増えたらしく、次第に彼女が大阪を訪れる機会はずいぶんと減ってしまった。
娘が浪人することなく大学に進めば、この3月に和洋が東京に戻っても、家族全員でそろって生活することはない。わずかな休みに娘が帰省する時を除けば、この先ずっとないのかもしれない。それはもちろん切ないけれど――それでももうすぐにまた、妻とともに暮らす生活を始められることが、今の和洋の支えになっていた。
- 2014/11/28(金) 07:24:50|
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串揚げ屋を出ると、酒気で火照った頬に冬の夜風がさっと吹きつけたので、和洋は思わずコートの襟を高くした。
「じゃあ、わたしはここで」
そう言って駅とは反対側の繁華街に向かおうとする堺を、和洋は呆れた顔で眺めた。
「まだ呑むのかい」
「いや、こっちさ」堺は小指を立てて見せる。「こんなに寒い夜は寂しくってね、どこかの女の肌に温めてもらうよ。あんたはどうだい?」
「……いや、今夜はよしとくよ」
「そうだな、あんたは真面目だし、愛しい奥さんがいるものな。――いや、これは皮肉じゃないんだ」
「分かってるよ」
和洋が笑顔を見せると、堺もわらって軽く手を振り、そのままどぎつい明かりの方に歩み去っていった。
地下鉄の窓に映る自分の顔を見つめながら、ふと、「この前、妻とセックスをしたのはいつのことだろう」と和洋は考えた。
年末年始に少しだけ東京へ帰った時には、璃子の受験のこともあり、それどころではなかった。それ以前――となると、もう半年も前になる。
苦笑して、和洋は境の「あんたには愛しい奥さんがいる」という言葉を思い出した。その言葉に間違いはない。だが――少なくとも今は似たようなものだぜ。和洋はそう独りごちた。
天王寺のマンションに帰ると、今日は持っていくのを忘れた私用携帯に、昼ごろ、東京の自宅から着信が入っていた。
時計を見ると、0時まであと少し。まだ起きているかな、と思いつつ、電話をすると、「もしもし」と愛想のない声で出たのは璃子だった。
「元気かい」
「あ、お父さん」
「お前はいつも『あ、お父さん』だね。お母さんはまだ起きてる?」
「ううん、もう寝ちゃった。今日、お友達の家族が亡くなったんだって。それでお母さん、お通夜に行ってたんだけど、1時間くらい前にすごく疲れた顔して帰ってきたの。すぐにシャワー浴びて寝ちゃったよ」
「ふうん」
1時間前というと11時ごろか。ずいぶん遅くまでいたのだな、と和洋は思う。よほど仲の良い友達の家族か、それとも場所が遠かったのか。
「今日の昼間、そっちから僕の携帯に連絡があったんだが、お母さんから何か聞いてる?」
「あ、たぶん旅行の話じゃないかな」
「旅行?」
「うん、ピアノ教室の人たちに誘われたんだって。1泊2日の鎌倉旅行。今度の週末に」
「娘が受験だというのに、ずいぶん呑気なんだな。それもこんな急に」和洋は呆れ声を出した。
「まあ、いいんじゃない? お母さんが試験を受けるわけじゃないし、それにずっと家にいて気を遣われるのもなんだしさぁ」
そう言いながらも、璃子の声はどこか元気がなかった。やはり、受験のストレスがたまっているのだろう。
「――今週末は、お父さん、身体が空きそうなんだ。お母さんはいなくても、東京に帰るよ。一緒に飯でも食いに行こう。それくらいの時間はあるんだろう?」
「無理しなくてもいいよ。お母さんいなくちゃ、お父さんも退屈でしょ。わたしはずっと勉強してるんだし」
「無理してないよ。退屈なのは大阪にいたっておんなじさ」
「わかった。じゃあ、待ってるね」
娘の声に少し明るさが戻ったことに安心して、和洋は電話を切った。
一人暮らしの男というものは、概してシャワーだけで済ませる者が多いと思う。しかし風呂好きの和洋は、1日1回は浴槽に浸らないと落ち着かない。
湯気のたつ浴槽に足を踏み入れる。狭いので四肢を伸ばせないが、それでも身体の芯がじわっと温まっていく感じがたまらない。
何となく、ビートルズの「When I’m 64」を口ずさんだ。
――僕が64歳になった時、
――君はまだ僕を愛してくれるのかな?
あらためて考えてみると、なかなか辛辣な歌詞である。ポール・マッカートニーが10代で作った曲らしい。一度聴けば耳から離れないメロディーはいかにもポールだ。
今度は瑛子のことを考えた。今日の通夜はまあ仕方ないとして、週末の旅行はどうも妻らしくない。普段の彼女はいつだって家族のことが最優先で、たとえ誘われたからといって、娘が大変な時に旅行など、考えられもしないはずだった。
浴槽から出て身体を洗う。今夜はずいぶんと冷え込んでいる。和洋はくしゃみをひとつした。
風呂上りの髪を乾かす合間に、和洋は机のパソコンを起動した。最新ニュースをチェックした後、漫然とネットサーフィンをしているうち、知らず知らずいかがわしいページに飛んでいた。和洋はこんな時、どこか後ろめたい気持ちになって、机の上に置かれている写真を後ろ向きにする。それは3年前の夏、自宅の庭先で妻と娘を写した写真だ。ひまわりの前に立った瑛子が文字通り花のような笑顔を向けている傍らで、璃子が怒ったような照れているような仏頂面をしているのが妙におかしい。
ふと――
見ていたアダルトサイトのリンク先に、目が止まった。「素人女の痴態」や「感じすぎた人妻たち」といった猥雑な名前が羅列されている中に、「黒い砂漠」という異質なタイトルが紛れていた。詩的なのか抽象的なのか、ともかくもこの名だけでは中身が判然としない。
逆に興味を惹かれて、和洋はそのアドレスをクリックした。
- 2014/11/28(金) 07:26:33|
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年始以来約2か月ぶりに、和洋は東京の自宅へ戻った。
「あなた、お帰りなさい」
そう言って笑顔で出迎える瑛子を見るのも、同じく2か月ぶりだ。彼女の後ろから、璃子もひょいっと顔を出す。
「あ、お父さん」
…もはや、何も言うまい。
居間に戻ると、台所で瑛子がコーヒーを淹れていた。
「あなた、ごめんなさい。こんな時に急に旅行に行くなんて、わがまま言って」
コーヒーの入ったカップを和洋の前に音もなく置いて、妻ははすまなさそうな顔をした。
「もともと行くつもりじゃなかったんだけど…。連絡のいきちがいがあって、気がついたら参加することになってたの。ほんとうにごめんね」
「いや、いいよ。せっかく仲の良い皆さんと行くんだ。気兼ねしないで楽しんでおいで」
コーヒーを啜りながら、和彦はウインクして見せた。「なあにそれ」と妻はくすくすわらって、それから「ありがとう」と言った。
「何時に出るんだい?」
「もうあと30分もしたら出るわ。お昼ご飯は作ってあるけど」
「そうか。夕食は璃子とどこかに出掛けるから心配いらないよ』
「ざんねんだわ。せっかく、あなたに奢ってもらえるチャンスだったのに」
「後悔するぜ。今夜は目の玉が飛び出るような金額の店に行くからな」
「あとで璃子から聞いて、悔しがることにするわ」
和洋よりもずっと若々しい妻だが、そう言って悪戯な表情をした彼女の目尻には、ちいさな皺が浮いていた。しかし、それが妙にセクシーに見えるのが不思議だった。
きっちり30分後、瑛子は家を出て行った。和洋は玄関まで彼女を見送った。煉瓦色のセーターに水色のスラックス、上から羽織ったベージュのコートがよく似合っていた。「行ってくるわね」
「うん、気をつけて」
残された和洋は居間に戻り、ソファの上でぐうっと両手両足を伸ばした。
カップに口をつけると、すでにコーヒーは冷えていた。璃子は最初に顔を見せたきりで、いまは2階の自室で勉強をしているのだろう、物音ひとつしない。
あの勉強嫌いの子がねえ――と感心しながら、和洋はテレビをつけた。璃子の邪魔にならないよう、音量を下げる。
うららかな休日。ひさびさの自宅でくつろぎながら、しかし和洋の心はいつの間にかあの日の夜に引き戻されていく。
あの夜、和洋は「黒い砂漠」を訪れた。
――――――――――――――――――――■――――――――――――――――――――
そのサイトに移動して、まずパソコンの画面上に広がったのは、ただ黒一色の暗景であった。
その墨のような暗黒の中に、やがて紅い文字が浮かび上がる。
『<黒い砂漠> ~はじめに~』
『ここは私こと「砂漠の住人」が飼っている人妻ペット「A」の生態を記録していくブログです。』
その文字の下には、1枚の写真が貼り付けられていた。
場所は――どこか小高い場所にある公園だろうか。
つばの広い薄青の帽子をかぶった細身の女性だ。彼女は薪で作られたベンチに腰掛けていて、その背後遠くには、どこかの街並みが小さく見下ろせる。
女性は黒のサマーセーターの上から白いカーディガンを羽織り、渋い色合いの臙脂のロングスカートを履いていた。顔全体にモザイクがかかっているので、年齢や顔立ちは分からない。ただ、落ち着いた雰囲気の服装や肩までの長さで綺麗にカットされた髪、スカートの上で上品に組んだ両手の感じが、清潔な容姿の女性を想像させた。
それはどこからどう見ても、さわやかなスナップ写真にしか見えなかった。
- 2014/11/28(金) 07:27:45|
- 鎖縛~さばく~・BJ
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『「A」は4×歳の専業主婦です。子持ちで、高校生の娘がいます。
一見おとなしく楚々とした顔だちをしており、近所では真面目な奥さんと評判のようです。家庭においても、「A」はよき妻、よき母として長年月を暮らしてきました。
しかし、それは偽りの姿にすぎません。
いくら拭いさっても、とろとろと淫猥な愛液をあふれさせ、乾くことのない性器。
変態的な調教でみじめな痛苦や羞恥を味わうごとに、いっそう性の悦びにあえぎ、はしたなく絶頂を乞い願うマゾヒスト。
それが「A」の本性なのです。』
そんな文句の下に、また写真が貼ってある。
ごくっと――和洋の喉が鳴った。
その写真が同じ日、同じ場所で撮影されたことは間違いない。背景が一緒だからだ。
違っているのは――女性の姿である。
女は帽子だけを残し、あとは完全な下着姿になっていた。
下着――と言ったが、それは黒いボディストッキングで、しかも乳房と股間の部分は丸くくり抜かれた煽情的なものだった。ほぼ全裸と変わらない――というより、いっそう淫らな雰囲気を醸し出している。
そんな格好で女は腰かけたベンチの上に手をつき、カメラに向かいM字形に足を開いて、自らを晒していた。
華奢でありながら見事なくびれを持った肢体。ストッキングの合い間から飛び出した両の乳房は釣り鐘型で、女の細身に比して豊かな量感があった。股間を覆う淡い陰毛の中心に、モザイク越しに薄らと赤い裂け目が見える。染みのない色白の肌が、ストッキングの黒でより際立っていた。
白昼の下――女の姿は妖しく浮き上がって見えた。それは、強烈な違和感とともに。
『私は「A」と古くからの付き合いで、この牝が結婚する前から知っています。しかし「A」との出会いや私との関係などは、このブログのなかでおいおい触れていくことにしましょう。
今はただ、ここを訪れた貴方に「A」の淫乱ぶりを覗き見ていただき、そして虚飾をはぎとられた牝犬が変態的な快楽に溺れていく姿を楽しんでいただければ幸いです。(砂漠の住人)』
その下には、さらにもう一枚の画像がある。
またも同日、同景の写真。
ちがっているのは女性がボディストッキングまで脱ぎすて、一糸まとわぬ姿になっていることだった。
いや――そうではない。
女の頸には赤黒い革の首輪が巻きつけられていた。
裸で首輪をつけた女は、ベンチの上でつま先立ちになり、カメラに見せつけるように股を大きく広げていた。そんな不安定な姿勢で、女は軽くまげた両の手を、ちょうど胸の横の辺りに持ち上げて見せている。
先ほどのM字開脚よりもさらに屈辱的な格好――それはちょうど、飼い犬がチンチンの芸をする時のポーズだった。
陽光がすべすべとした肌をかがやかし、全裸に首輪ひとつの姿を風にさらしながらみじめなポーズを披露している女に、あたかもスポットライトを当てているかのようだった。
眩々と――眩暈がした。
和洋はいたってノーマルな性的思考の持ち主である。これまで人並みにセックスを愉しめど、その愉悦はSだのMだのとはまるきり無縁であった。当然、このような変態的で異常な行為を女性に――まして妻に強要したことはない。
もちろん、その手の写真を見たことはあるけれど、興奮よりも後ろめたさをともなった嫌悪感が先にくるのが常だった。そんな和洋が写真の女性を見てこれほど動揺したのは、恥知らずな行為に耽っている眼前の女が40代の人妻であること、高校生の娘がいること、そして細身の体型や一枚目の写真に見られた清楚な雰囲気がよく似ていることが原因だったのかもしれない。
似ている――誰に?
女の顔はモザイクで隠されている。
和洋はその表情を知りたいと思う。
羞恥にこわばっているのか。
背徳的な行為におびえているのか。
アブノーマルな性の快楽に陶然としているのか。
それとも――
まるで、飼い主の命令を上手にこなしては、尾を振り鼻を鳴らして誉めてもらいたがる犬のように、カメラの主に向かって従順そのもののまなざしを送っているのか――。
牝犬になりきった女は、口に何かの紙を咥えていた。
そこにはこんな文字が書かれている。
「わたしはあなたのペットです」
写真の下には、『ENTER』 の文字が光っていた。
――――――――――――――――――――■――――――――――――――――――――
「…………………さん!」
「―――」
「お父さんってば!」
はっと目が醒めたように、和洋は顔を上げた。目の前に璃子のふくれっ面があった。
「何なのよ、もー。ぼうっとしちゃって、さっきからわたしが呼んでるのに返事もしないでさ」
「わるいわるい。ちょっと疲れてるみたいだ」
「あんまり働きすぎなんじゃないの。もうオジサンなんだからね。ちゃんと自分の齢を考えてよね」
娘の口は悪いが、和洋のことを心配している気持ちは伝わる。逆にいえば心配している気持ちは分かるが、どうも口の悪い娘だ。
「オジサンというなら10年も前からオジサンだったさ」
苦笑しつつ和洋は、「オジイチャン」と言われるよりもマシか、などと考えた。
時計を見ると、いつの間に昼の2時を過ぎている。
「ごめんな。腹ぺこだろう? お母さんがお昼ご飯を用意してくれてるらしいから、一緒に食べよう」
「…お父さん」
「ん、何」
不意に沈んだ声音になった娘を、和洋は怪訝な面持ちで見上げた。
璃子は大きな二重の目に、何か訴えるような色を浮かべていた。どうしたんだろうと困惑する一方で、和洋は自分のいない間に娘が若いころの妻に驚くほど似てきたことを知った。
「ううん、やっぱりいいや」
「何だ、それ……」
「お昼ご飯食べよ。もうお腹へって死んじゃいそう」
- 2014/11/28(金) 07:28:55|
- 鎖縛~さばく~・BJ
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「豪勢な食事をするぞ」と妻に宣言した手前、和洋は是が非でも璃子を一流のフランス料理店にでも連れて行こうとしたのだが、こと食べ物に関しては父に似てとことん庶民派の娘は、「近くのファミレスでいーよ」と言って譲らなかった。
仕方なく、和洋は璃子と一緒に、歩いて10分の距離にあるファミリー・レストランへ行った。和洋はヒレカツ定食、璃子は特製ハンバーガーセットを頼む。フランス料理どころではない。
受験勉強に疲れている娘を気遣って、和洋はしいてその話題を避け、璃子の友達や好きな音楽などについて、あれこれ質問した。璃子はたいして面白くもなさそうな顔で、しかし律儀にその問い掛けに答えては、小さな口でハンバーガーをぱくついた。
途中、和洋の胸ポケットで携帯が鳴った。
「失礼」
娘相手なのにいつもの癖でそう断ってから、和洋はかかってきた電話の相手が瑛子であることに気づいた。
「――どうした?」
『あなた…。いま、どこ? 何してるの?』
「璃子と一緒に飯を食ってるよ。聞いて驚け、銀座のマキシムだぞ」
嘘ばっかり、と正面で聞いている璃子がそっぽを向いた。
『そう…よかったわ。璃子は喜んでる?』
「ああ、餓えた猛獣のようにがつがつ食ってるよ」
そう言った途端、和洋は机の下で、璃子に脚を蹴っ飛ばされた。
「君は何をしてるんだね」
『わたし…? わたしもお友達の方とお食事して…終わったところ』
「ふうん。料理は何だった?」
『え…ああ、うん…日本料理かな』
自分で電話をかけてきたくせに、瑛子はどこか気もそぞろという感じだった。
「体調でも悪いんじゃないの? まだ寒いんだから、風邪を引かないように気を付けろ。万一、璃子に伝染したらコトだよ」
『…そう、そうね、あなた。気を付けます』
「璃子に代わろうか?」
『え…ううん、今日はいい。いつも話してるんだし』
「そっか」
『うん…。じゃあね、あなた』
「ああ」
璃子は指先でフォークを弄びながら、「お母さん、何の電話だったの?」と訊いてきた。
「うーん、とくに内容はなかったけど、まあ、僕たちのことが気になったんだろう」
「そう」相変わらず璃子は元気がない。
「璃子」
「なあに」
「お前もいろいろと大変だろうけど、無理はするなよ」
その言葉に、璃子はうんともすんとも言わなかった。しばし黙って考え込むような表情をした後で、「お父さん」と真面目な声を出した。
「なんだい、娘よ」
「…まともに聞かないなら話さない」
「聞く聞く、ごめん、ちゃんと聞いてるから」
ふくれ面をする娘に、和洋はあわてて襟を正した。
璃子が口にしたのは、意外な言葉だった。
「お父さんさあ…、お母さんのこと今でも好き?」
「それは――どういう意味なんだ」
「どういうもこういうもないよ、そのまんまだよ。お母さんのこと好きかって訊いてるだけ」
何を怒っているのか、璃子はやけに早口に言う。
「そりゃあ…好きだよ。お前がどんな答えを望んでるか知らないし、さすがに若い子の恋愛感情みたいなものとは遠いだろうけど、好きなことは変わらない。じゃなきゃ、こんなに長年、一緒に暮らせないよ」
「最近はずっと、一緒に暮らしてないじゃない」
「それは…仕事だから仕方ない。でも、気持ちは前と変わらないさ。というかもう、好きとかは通り越して、存在が当たり前になってるんだよ。そんなこと言ったら、お母さんは『わたしは空気じゃないわよ』って怒るかもしれないけどね」
「……………」
璃子は顔をうつむけて、つけあわせのパセリだけが残った皿を見つめている。
「いったいどうしたんだね、急に。お母さんと喧嘩でもしたのかい?」
「そんなもの、してないよ」
「じゃあ逆に訊くけれど、璃子はどうなんだい? お母さんのこと嫌いなのか」
「そんなこと、ない」璃子は絞り出すようにつぶやいた。「お父さんと同じだよ。でも…、最近のお母さんは……ちょっと変」
「変って何が? そりゃあ以前とちがって、ピアノ教室だ、水泳だ、友達との旅行だって家を空けることは多くなったかもしれないけど…。でも、いいじゃないか。お母さんがひとりぼっちで家に閉じこもってるよりは、活発に動き回って人生を楽しんでいるほうがよっぽどいい」
それは本当に和洋の本心なのか、正直言って自分ではよく分からない。意識してはいなかったが、まったく立場を逆にして、前に璃子とした会話をなぞっていた。
またしばらくの間、璃子は黙っていた。それから、ぽつりと言った。
「お父さん、はやく家に戻ってきてよ。やっぱりお父さんがいなきゃダメだよ」
「あと一か月もしないうちに帰るよ」
その時はもう、お前は大学でひとり暮らしをするようになっているかもしれないけど――と、和洋は思ったが口には出さなかった。
向かいのテーブルでは、茶色い髪の若者たちがそれぞれに煙草の煙を吐いては、他愛もない話に花を咲かせている。
「お父さんがいないと、寂しいか?」
こういうことを言うと、いつもの璃子なら軽蔑するような目をして、「ばっかじゃないの」とでも悪態をつくところだ。しかし、その時の娘はやけに素直に「寂しいよ」と言葉を漏らした。
「そうだね…きっと寂しいんだ。だからお父さん、早く帰ってきて」
「…分かった、そうするよ」
この時――和洋は娘の心をほとんど理解していなかった。うまくいかない受験のために神経が過敏になっているのだろうと、それくらいに考えていた。娘がまだ幼かったあの日、迷子になって途方に暮れた時にこんな表情をしていたな――と、そんな思い出ばかりが脳裏をかすめて、胸の内側で静かな感傷に浸っていた。
- 2014/11/28(金) 07:29:59|
- 鎖縛~さばく~・BJ
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大阪へ戻ってきた和洋は、すぐそこに迫った異動に備えて仕事の引き継ぎ作業に追われていた。
仕事が終われば、堺から毎日のように「飲みに行かないか」と誘われる。若者じゃないのだからな、と呆れつつも、もうすぐ友人が去ってしまう寂しさを滲ませた独り身の男の誘いは、なかなか断れなかった。
そうして疲れきった身体を天王寺のマンションに持ち帰るのだが、そうすると今度は不思議に寝付かれない。妙に目が冴えてしまって、遅くまで起きている。
――齢のせいで、酒に弱くなったのかもしれないな。
そう考えたが、酒に弱くなったなら、余計に早く寝付けそうなものだとも思う。酒量が減っているのはたしかだが、眠れない原因はほかにあるのかもしれない。
齢のせい――という言葉の連想で、この間の東京帰り、戻り際にちらりとだけ会った瑛子の顔を思い出した。箱根旅行でずいぶんと疲れたのか、目の下には隈が仄見えたが、和洋の前では疲労のことはまるで口にしなかった。
『うん――楽しかったわよ。行きたいなと思っていたところも、色々とまわれたしね』
いつもの落ち着いた声音でそう話しながら、台所に立って茶を淹れている瑛子の後ろ姿を思い出す。若いころと寸分違わない細身のシルエット。ベージュのスカートに包まれた臀部のあたりを、和洋は見ていた。
身体の深いところで疼くものがあった。立ち上がって瑛子の傍らに行き、そっと腰に手を回すと、瑛子はちょっと困ったような顔をして、『だめよ』と身をかわした。
『璃子が2階にいるじゃない』
『2階だからいいんじゃないか。ちょっとくらい、いちゃいちゃしても』
瑛子はぷっと吹きだした。『なあに、いちゃいちゃって。若い子じゃあるまいし』
『おかしいね。齢のことを話題にしたら、怒るのは君の役まわりだったろう。漫才師でいえば、僕はおでこをぴしゃりと叩かれる方』
『また、馬鹿なこと言って』
『馬鹿なことを言うのが好きなのさ』
知ってるだろう――と囁きながら、和洋は瑛子を抱き寄せた。普段なら、ここまでくればおとなしく身を任せる瑛子だったが、その日は頑なで、ただ頸を振って和洋を避けると、コンロにかけたシチュー鍋をかきまわす作業に戻った。
しばしの沈黙の後、瑛子は和洋に背中を向けたまま、『あと一か月じゃない』とぽつり、つぶやいた。
『それまでは――』和洋は椅子に背を深く預けて、頭の後ろで両手を組んだ。『お預けってことかい』
瑛子はほつれた後ろ毛を軽く撫でながら、『そうね』と煮え切らない言葉を返した。――
つれなかった瑛子の態度を思い出しながら、和洋はぼんやりと考え込んだ。
妻は今も若々しく、女としての魅力を失っていない。それは幸福なことなんだろう。
自分は――どうだろうか。
考えるまでもない。疲れ切った中年男だ。
しかしそれは恥じることではない――と和洋は思う。家族を守るためだ何だと俗なことは言いたくないが、それでも自分には意味があると信じている。生きる意味、働く意味。そうしたものがない人間の生活は空虚でしかない。
とはいえ――いくら高尚なことを考えてみても生きていれば腹が減るように、眠れない夜には性欲を抑えられないこともある。
和洋はベッドから起き上がった。後ろめたい想いを感じつつ、パソコンを立ち上げる。
訪れる先は決まっていた。先夜はトップページを見ただけで、「これはおれが覗くような世界じゃない」と引き返したあのブログ――『黒い砂漠』だ。
黒々とした背景に、赤い文字が浮かび上がる。
【皆様、こんばんは。『砂漠の住人』です。】
【最近の調教成果を報告します。】
ブログに入ると、最新の更新がトップ画面に現れた。日付を見ると、3日ほど前になっている。
【先日の昼間、Aに電話をかけました。】
【前回の更新で書いたように、Aにはここしばらく貞操帯を付けたままで生活させています。】
常連でない自分には分からないが、そういうことになっているらしい。それにしても、Aは40台の主婦だそうだが、夫は妻の異変に気づかないのだろうか。夜の営みは絶えてないのか。
それとも――夫婦は一緒に住んでいないのか。
【これまでAには一日に三度、娘の目を盗むように朝、昼、晩と自宅でオナニーをさせて、その様子を携帯の写メールで送らせていたのはご承知の通りです(時には自宅でない場所でもさせましたが(笑))。】
【それがいきなりオナニーを禁じさせ、貞操帯を付けさせた上で、しばらく連絡を断ったものですから、もはやアブノーマルなセックスの虜になっているAにとっては躯の疼きで夜も眠れない日々だったようです。もちろん、奴隷であるAの方から主人の私に連絡を取ることは一切許していません。】
- 2014/11/28(金) 07:30:58|
- 鎖縛~さばく~・BJ
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【自宅で、携帯に出たAの第一声は『ご主人さま…』というものでした。
震えを帯びたそのマゾ声を聞いただけで、Aの肢体がいまどのような情態にあるか、どれほど性の喜悦に飢えているかが感じ取れ、私はほくそ笑みました。】
【Aはその夜、友人の家族の通夜に行くことになっていました。
『股の間に貞操帯をぶら下げたままで行くのか?』とせせら笑ってやると、Aはか細い声で『そんな風に言わないでください…』と言います。
『重度のマゾの癖に嘘をつくな。本当はもっと酷くなじられたいんだろう?』
受話器の向こうで絞り出すようなAの吐息が聞こえました。】
簡潔な文章でありながら、『砂漠の住人』とAの淫靡なやりとりがありありと思い浮かぶ。
それにしても。
友人の家族の――通夜?
ごく最近…、そうした場に出掛けた人間が、自分の身近にいなかっただろうか。
考えるまでもない。
瑛子だ。
「4×歳」
「専業主婦」
「高校生の娘が一人」
Aは――
いや、そんなはずはない。和洋は脳裏に描いた妄想を早々に打ち消した。
妄想――そう、ただの妄想だ。
それでも、それなのに、和洋の胸をひやりとさせたのは、Aの境遇と瑛子のそれとの共通点もさることながら、トップページにあった一枚目の写真が念頭にあったからだ。写っていた上品な奥様風の女――Aの、無駄な肉のないほっそりした体型は、20年近く連れ添った妻の肢体によく似ていた。
ただ――それだけだ。
しかし和洋は、冷えた胸の高鳴りを抑えられぬまま、ブログを読み進めた。
【私はAに週末は土日の2日とも空けておくように命じました。もちろん、ひさしぶりに外へ連れ出して、じっくり調教をしてやろうという腹積もりです。
Aは弱々しく抵抗しました。娘をほったらかしにして2日も家を空けられないというのです。
『せっかくお前の好きなことをしてやろうというのに、いやというのか。残念だな。私も忙しいんだ。次に連絡を寄こすのがいつになるのか分からないぞ。それまでずっとあそこに鍵をかけたままでいたいんだな』
『……………』
呆れたような声で私が言うと、Aは黙りこみます。】
【『もう電話を切るぞ。それじゃあな』と私は冷たく告げました。Aは心底動揺したように『あっ…』と情けない声をあげます。
『何が「あっ」だ。お前、自分がどんな存在か忘れているんじゃないのか。言ってみろ、お前はいったい何なんだ?』
Aは小さな声で、『ご主人さま、の、ペットの、牝犬です…』と切れ切れにつぶやきました。すでにこのマゾ女の呼吸はかなり乱れています。
『もう一度言え』
『わたしはご主人さまのペットの牝犬です』
今度は一息に言いました。】
【Aは結局、週末の調教旅行を承知しました(もとより拒否権などないのですが)。
それとは別に、私は喪服姿のAを辱めてみたいという衝動に駆られて、その夜、通夜が行われるという式場の近くに車を停め、Aを呼び出すことにしました。】
【焼香を終えて式場を出たAは、周囲を気にしながら小走りに指定した場所へとやって来ました。通夜の席上でも、その後の私とのプレイのことを考えていたのでしょう。Aの瞳は潤み、頬は上気して、すっかりマゾ顔になっています。】
- 2014/11/28(金) 07:32:02|
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