主に寝取られ物を集めた、個人文庫です。
2時間の舞台は二人の主演俳優の力演のためかほとんど長さを感じさせなかった。何回かのカーテンコールに応えたベテラン男優と、気鋭の若手女優が舞台袖に姿を消すと、山城隆則は席を立つ。
仁美もゆっくりと立ち上がりながら、火照った顔を隆則に向ける。仁美はすっかり劇中人物に感情移入してしまったのか、かすかに瞳をうるませている。
「嫌だ、恥ずかしい」
隆則にじっと見られていることに気づいた仁美はほんのり染めた顔を伏せる。
先月40歳の誕生日を迎えた仁美だが、そんな仕草は少女のように初々しい。隆則は自然に仁美の腕を取り、劇場を出る。
舞台が始まる前に軽く食事は済ませたので、腹は減っていない。しかしこのまままっすぐ家に帰るのももったいない。
「ホテルのバーにでも寄っていこうか」
隆則が声をかけると仁美は少し戸惑ったような表情で「千鶴が心配しないかしら」と言う。
「母親の帰りが遅いのを娘が心配するなんて逆だろう」
「だって……」
仁美は拗ねたように唇を尖らせ、携帯を取り出し、メールを打つ。すぐに返信があり仁美は「千鶴ったら……」と小さく笑う。
「どうした?」
「これを見て」
仁美が差し出した携帯の画面には「門限なんか気にしないで、明日からしばらくお別れだからパパとのデートをゆっくり楽しんできて」という短い文章にハートマーク、そして千鶴が自分の顔の代わりに使っているショートカットの女の子の顔の絵が並んでいる。
「保護者の許可が出たところで、行こうか。仁美ちゃん」
「もう、あなたまでひどいわ」
仁美は肘で隆則を軽く打つ。隆則は再び仁美の腕を取ると、夜の街をホテルに向かって歩き出した。
- 2014/11/07(金) 01:43:08|
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「お芝居には感動したけれど……」
仁美がカクテルを一口飲むと、話し出す。
「舞台には登場しない、主人公の奥様の立場に立ってみれば複雑ね。自分以外の女性を50年も思い続けている男と結婚しているなんて」
「奥さんは気づいていないから問題ないだろう」
「あら、あなたはそんな風に考える人なの?」
仁美は眉を上げ、隆則を軽くにらむ。
隆則と仁美が観たのは、舞台上に並んで座った2人の男女が、手にした台本を読み上げるだけのシンプルな朗読劇である。1988年の初演以来、世界各国で上演されており、日本での上演回数も300回を超えている。
幼馴染み同士の男と女。男は真面目で女は自由奔放。正反対とも言える彼らは思春期を迎えた頃に互いを意識し、一度は結ばれる寸前まで行くがどうしても友達以上にならない。
それぞれ違う相手と結婚し別の道を歩む二人だったが、ある日偶然再開したことがきっかけで互いを激しく求め合う。
しかし男は結局それまで築いた地位も名誉も家庭も捨てられず、かといって女への愛も捨てることが出来ない。女は寂しさから身も心も人生も持ち崩す。そんなストーリーが主人公の男女が50年間に書いた手紙を読むという形式で語られる。
「仁美にはそんな相手はいないのかい」
「馬鹿ね、いる訳ないじゃない」
そう言うと仁美はクスクス笑う。
「そうかな。高校や大学時代には本当に何もなかったのかい?」
「なかったわよ。寂しい学生時代を送っていたわ」
「本当かい?」
「本当よ。めぐみに聞いてもらってもいいわよ」
岡田めぐみは高校の頃からの妻の親友で、今も生まれ育った町──妻の実家がある神戸で暮らしているという。
(確か、高校の同級生と結婚したと言っていたな)
隆則はめぐみには会ったことはないが、定期的に会っている仁美から近況を聞かされているためか、なんとなく昔からの顔なじみのような気分になっている。
「めぐみさんといえば、今度帰省した時にも会うのかい?」
「めぐみだけじゃなくて、他の友達二人にも会うわよ」
「卒業から20年以上経つのに仲が良いな」
「一年に二度、お盆と暮れに会っているだけよ。定期的に会い出したのはここ10年くらいだわ」
「俺も一緒に帰って、めぐみさんに確かめてみようかな」
「いいわよ。仕事の都合が付けられるんならね」
そう言うと妻はまた小さく笑う。
「うーん、それはちょっと難しいな」
隆則が取締役管理本部長を勤めている中堅どころの人材サービス会社はここのところ成長が著しく、極めて業務が多忙である。京都にある実家にはここのところ1年に1度、年末ギリギリに帰省できれば良いほうである。
「そういうあなたの方に案外、そんな相手がいるんじゃないの?」
「いるわけないじゃないか」
「あら、高校から大学まで付き合っていた彼女はどうなの」
「それはその時だけの話だよ」
「男の人の恋は別名保存っていうしね。どうだかわからないわよ」
「仁美にしては難しい言葉を知っているじゃないか」
「仁美にしては、っていうのはどういう意味なの? 私も最近はパソコンのスキルは随分上がったのよ」
「千鶴に教えてもらって、だろう」
「もう、意地悪ね」
隆則の手の甲を抓ろうとする仁美の手を、隆則は軽く押さえる。
「今夜はこのままこのホテルに泊まっていこうか?」
「……ダメよ。千鶴が待っているわ」
「明日は休みだよ。中学二年にもなったら朝食くらい自分でとれるだろう」
「中学二年にもなったら、両親がいきなりホテルに泊まってくるなんて言い出したら、何をするのかわかっちゃうわよ」
仁美が笑いながら隆則の手を外す。
「それに、こんなところ贅沢だわ」
「家のほうが落ち着いて出来るのか?」
「馬鹿ね。ビール一本で酔っ払ったの?」
仁美はそう言うとわずかに残ったカクテルを飲み干す。
「ご馳走様。そろそろ帰らないと、門限に間に合わないわ。ここは私に奢らせて」
仁美は立ち上がるとレシートを取って立ち上がり、レジに向かって歩き出す。スーツのタイトなスカートの生地を持ち上げている仁美の尻が、誘うように揺れている。
ふだんは貞淑そのものと言った仁美だが、ふとした瞬間に匂い立つようなフェロモンを感じさせることが隆則にとっては不思議であった。
カウンターの隣の席に座っていたカップルの男が、むっちりした熟女の尻の動きに目を奪われているのに気づいた隆則は、欲望の高まりが現れていないかズボンの前を気にしながら仁美の後に続くのだった。
(注:本文中の『ラブレターズ』のあらすじにつきましては一部パルコ劇場のHP等より引用させていただきました)
- 2014/11/07(金) 01:53:07|
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「あっ、ああっ、ああンっ……」
仁美の白く大きな臀肉が淫らに蠢き、隆則の下腹部に押し付けられる。「もっと深く――」とねだるようなその仕草に引き込まれるように隆則はぐっと腰に力を入れ、抽送の速度を速める。
濡れた粘膜の擦れ合う、ぬちゃっ、ぬちゃっという卑猥な音と、隆則の下腹部と仁美の尻がぶつかるパンッ、パンッという滑稽味を帯びた音が寝室に響き渡る。
「気持ち良いか、仁美」
「ああっ、い、いいっ」
「どこが気持ち良いんだ、言ってみろ」
「ああ……お、お○○こっ」
そんな卑猥な言葉を仁美が吐くと、隆則は満足そうな笑みを浮かべる。
(ようやくここまで調教した)
仁美は16年前に見合いで結婚したときは処女であるばかりかオナニーの経験すらなく、当然のことながら女の悦びも知らなかった。真面目で、初めてキスをするときも少女のように震えていた仁美が自ら裸の腰を振りたてて、あからさまに快感を訴えるようになるまで、どれほど長い時間がかかったことか。
もともと仁美は性に対しては消極的であり、千鶴が生まれた後は3年間、ほぼセックスレス同然となり、大げさでなく夫婦の危機が訪れたこともある。
(あの時の仁美は本気でセックスは生殖のためだけにあると考えていた節がある。それがこの変わりようはどうだ)
情感が高まってきたのか、仁美の肉襞はリズミカルに収縮し隆則のペニスをくいっ、くいっと締め付ける。
「バーを出るとき、わざと俺を誘っただろう」
「な、何のこと……」
「とぼけるんじゃない。大きなケツをプリプリ振って俺を誘っていたくせに」
「そ、そんなことしていないわ」
「それなら無意識のうちにやったのか。仁美は生まれながらの淫乱女だな」
「ひどいわ……何てことを言うの」
仁美は「あーん」とため息のような声を上げながら、隆則の肉棒をキューンと締め付ける。
「うっ……」
思わず射精しそうになる快感をぐっと堪えながら、隆則は仁美の尻をパシッと軽く叩く。
「こらっ、出そうになったじゃないか」
「悪いことを言うから、お仕置きしてあげたのよ。隆則のおチンチンに……」
(おチンチンなんて言葉も、以前の仁美なら絶対に口にしなかったものだ)
「隣の席に座っていた若いカップルの男が、物欲しそうに揺れる仁美のケツにじっと見とれていたぞ」
「アアン、そ、そんなの嘘よ……若い子がこんなおばさんのお尻に見とれたりするものですか」
「嘘じゃない。それだけ仁美のケツはエロいってことだ」
隆則は再び仁美の尻を平手打ちする。
「エロいなんてひどいわ。ア、アアーン、ぶ、ぶたないで」
「ダメだ。ケツを振って他の男を誘った仁美をお仕置きをしないとな」
そう言うと隆則はまた仁美の尻をスパンキングする。
「ア、アンっ、さ、誘ってなんかいないわ。わ、私は無実よ」
「本当か?」
「本当よ。仁美のお尻は、隆則さんだけのものよ」
そう言うと仁美はまたくい、くいと隆則を締め付ける。限界に近くなった隆則は仁美の背中にのしかかるようにしながら、腰の動きを早める。
「アアっ、も、もうダメだわっ」
仁美が絶叫するような声を上げる。隆則が腰を引こうとすると、仁美はそうはさせじと、隆則の下腹部にぐっと尻を押し付けるようにする。
「今日はいいのっ。このままで」
(安全日ということか?)
15年以上夫婦生活を送っているが、いまだに仁美の生理の周期が分からない。もともと仁美があまり規則的でないせいもあるが。
「俺ももうダメだ。いっていいか、仁美っ」
「いいわっ、このまま、き、来てっ。あなたっ」
緊張を解放した隆則の迸りを子宮底で受け止めた仁美は「い、いくっ!」と絶叫しながら裸身を震わせるのだった。
- 2014/11/07(金) 01:54:12|
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「これはみんな千鶴が作ったのか?」
食卓に並んだ焼き魚、肉ジャガ、胡瓜の浅漬けなどを眺めた隆則は感嘆の声を上げる。
「当たり前じゃない。私じゃなきゃ誰が作るの」
「大したものだ。これならいつでもお嫁に行けるな」
「十三歳じゃお嫁になんか行けないわよ。結婚できるのは十六歳から」
「よく知っているな」
「もう、すぐに馬鹿にするんだから」
千鶴は唇を尖らせる。
(母親似だな)
最近急に大人っぽくなった娘のそんな顔を見ていると、隆則は改めて思う。目の大きなはっきりした顔立ちは、いつか仁美の実家で見せられた、子供の頃のアルバムの妻の姿に良く似ている。
(まあ、仁美に似て良かった。俺に似ていたら美人とは程遠い顔になっただろう)
隆則は思わず苦笑する。
「何を笑っているの、お父さん」
千鶴が缶ビールのプルトップを引くと、隆則のジョッキに注ぐ。
「お、サービスがいいな」
「いつもお母さんがしているでしょう。お母さんが遊んでいるからって、お父さんに不自由な思いをさせるのも可哀そうだわ」
「お母さんはお父さんの代わりに帰省しているんだ。遊んでいるわけじゃないぞ。ちゃんと京都の山城の家にも顔を出してくれている」
「それにしては楽しそうだったわ。帰省する前の二、三日はうきうきして鼻歌交じりで家事をしていたんだから」
千鶴はため息をつく。
「生まれ育った場所へ帰ることが出来るのが楽しいんだろう」
「そんなものかしら」
「お母さんは千鶴と違ってこの横浜が故郷というわけじゃない。まあ、千鶴も将来お嫁に行って、この土地を離れたらお母さんの気持ちが分かるよ」
「お嫁になんか行かないわよ」
「それじゃあ、ずっと独身で暮らすのか?」
「そういう意味じゃないわ。お嫁に行くっていう感覚が古いのよ。私は、好きな人と一緒になるだけ」
「ほう、千鶴はなかなかしっかりしているな」
「またそうやって馬鹿にする」
千鶴は再び唇を尖らせる。
「そういえば、この前お母さんと一緒に観たお芝居、どんなお話だったの?」
「ああ、あれか」
隆則は浅漬けをつつき、ビールを飲みながら芝居の筋を千鶴に説明する。千鶴は興味深そうに頷きながら隆則の話を聞いていたが、やがて顔をしかめる。
「なんだか勝手なお話ね」
「どうしてだ? 50年も一人の相手を思い続けるなんてロマンチックじゃないか」
「どこがロマンチックよ。一人の相手を思い続けたいのなら結婚なんてしなければいいじゃない。そんなの、配偶者に対する裏切りだわ」
「配偶者なんて、千鶴は難しい言葉を知っているな」
「またそうやって馬鹿にする」
千鶴は頬を膨らませる。
「だって、そうじゃない。その二人は夫や妻に看取られながら、ああ、自分たちは50年間の美しい秘密があったと思いながら死んでいくの? 随分勝手だとは思わない?」
「思うだけならいいんじゃないかな……」
「思うだけって?」
「いや、何でもない」
隆則は慌てて言葉を濁す。13歳の千鶴はもうセックスのことは知っているだろうかなどと隆則は考える。
(最近の中学生は色々なところから情報が入ってくるから知っているだろうな)
「急に黙っちゃって、変なお父さん」
千鶴はそう言うと、肉ジャガのジャガ芋に箸の先を突き刺し、一口でほうばる。
「女の子なのに行儀が悪いぞ」
「ほんなとはほとほとははんへいないほ」
「口に物をいれたまましゃべるんじゃない」
隆則は呆れたようにそう言うと、ジョッキのビールを飲み干すのだった。
- 2014/11/07(金) 01:56:01|
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(綺麗な肌だ――雪のような白さというのはこんな肌を言うのか)
ゆかりのうなじから胸元のあたりまでの肌の見事さに、隆則は感嘆の念を抑えることができない。
隆則は焦る気持ちをぐっと堪えながら、ゆかりのブラウスを脱がしブラジャーのホックに指をかける。小さな音がしてホックが外れ、やや小ぶりの乳房が顔を出す。
「ああ……」
ため息のような声と共に、白い肌がほんのり桜色に染まる。そっと乳房に触れるとゆかりの裸身が電流に触れたようにブルッと震える。
(この肌が――この身体が俺だけのものなんて――信じられない。まるで夢を見ているようだ)
隆則はゆっくりとゆかりの乳房を揉み上げる。手のひらに伝わるゆかりの体温が徐々に高まってくる。隆則はピンク色をした乳首に接吻するともう一方の手をそっと伸ばし、ゆかりの股間に触れる。
ゆかりもすでに興奮しているのか、パンティの生地は心なしか湿っている。パンティを降ろそうとした隆則の手をゆかりが押さえる。
「駄目よ……」
ゆかりは隆則の目をじっと見つめながら首を振る。
「どうしてだ」
「駄目、結婚してからでないと」
「結婚するよ。そう言っただろう」
そうだ、俺はゆかりと結婚する。そう決めたはずだ。確かゆかりも承知してくれたはずだ。
「駄目、出来ないわ」
「どうしてだ」
ゆかりは俺を嫌いなのか。いや、嫌いだったらこんなことを許すはずがない。ゆかりはそんな軽い女じゃない。
「どうして駄目なんだ、ゆかり。言ってくれ」
「だって……」
ゆかりは哀しげな視線を向ける。
「隆則さん、もう結婚しているじゃない」
「えっ?」
その言葉とともに、ゆかりのから一気に現実感が消えていく。身体が浮き上がるような感覚──頼りなく崩れていくゆかりの白い肌──。
「ゆかりっ。待ってくれ」
隆則はベッドの上に起き上がる。どうやら自分の声で目が覚めてしまったらしい。
(またあの夢か……)
仁美が実家に帰っていて良かった。寝言で昔の女の名前を呼んだりしたら大変だ。
しかし、ゆかりと別れてから20年も経つというのに、まだ俺は忘れられないのか。
(いや……)
夢はますますリアルになっていくばかりだ。まるで夢の中でもうひとつの人生を生きているように。
- 2014/11/07(金) 01:57:24|
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「お待たせ」
隆則の姿を見つけた天野が片手を上げながら近づいて来た。
「と言われても別に待たしてへんな。ちょうど19時や」
「相変わらず時間に正確だな。天野の職業じゃ珍しいんじゃないか」
「サラリーマン時代の癖が抜けへんのや」
天野はちょび髭の、どこかコメディアンを思わせる顔をほころばせる。隆則の昔からの友人である天野は大学時代に漫画サークルに所属し、在学中から時々商業誌に作品を発表したこともある。
一時はプロを目指したこともあるが、結局メジャー誌でレギュラーを持てるほどの運と実力はなかったようで、二年留年したあげく広告代理店に就職した。しかしプロになる夢は捨てきれず、それまでの少年漫画から青年漫画へ方向転換し、いくつかの雑誌に継続的に掲載されるようになった。
そこで天野は5年前に思い切って脱サラし、今はコンビニ売りの風俗誌を中心に作品を発表している。
従業員300人の会社で社長に次ぐポジションにある隆則とは住む世界が違ってしまったが、隆則はかえって天野が脱サラした後の方がよく付き合うようになり、関西に出張するたびに尼崎に居を構える天野と飲むのが習慣になっている。
童顔のせいで髭がないと相手から軽く見られるという理由で生やしているそうだが、天野にとって髭は自由業の象徴でもあるようで、似合わないから剃れと言っても聞き入れない。
「まだ早いな。飲みに行く前に面白いところへ連れていったるわ」
「面白いところって?」
「この前小説の挿絵の仕事で知り合った画家の個展や。といっても堅苦しいもんやない。エロ小説の表紙になるような人やから滅法色っぽいで」
「ふうん」
天野の言う「エロ小説」の文庫本や新書は毎月結構な数が出版されていることは隆則も知っている。どれも一応写実的な中にも、男にとっても妄想の対象となりやすいように、胸や尻が強調されているのが特徴である。
隆則も若いころは官能小説を読んだこともあり、購入のきっかけが扇情的な表紙絵だったこともあるが、基本的にはいかにもステレオタイプの女性を描いたそういった絵にはあまり関心がなかった。
「あまり興味がなさそうやな」
そんな隆則の気持ちを見通したように天野がニヤリと笑う。
「まあ、話の種やと思って一緒に来いや。ちょっと変わった趣向のある個展やからな」
「変わった趣向? いったいどんな趣向だ?」
「それは行ってみてのお楽しみや」
そう言うと天野は隆則を先導するように歩き始めた。
- 2014/11/07(金) 02:00:06|
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天野に連れられて来た画廊は表通りから二筋入った工場や物流業者の倉庫などが立ち並ぶ道路の、古びたビルの二階にあった。
隆則はビルの外階段を天野に続いて上る。「画廊グリーン」というプラスチック製の表示板の下に「椿圭吾個展」という文字だけのポスターが貼られている。それが天野の知り合いの画家の名前のようだ。
(えらくうらぶれたところだな)
こんな場所に画廊を開いても、いったい客は来るのか。隆則がそんなことを考えていると天野が振り返る。
「入るで」
天野はそう言うと扉を開ける。画廊に入った隆則はそこが思ったよりも広く、明るい照明に照らされた内装もまだ新しいことに意外な印象を受ける。
受付で文庫本に目を落としていた女が顔を上げ、天野を認めると静かにほほ笑む。
「あら、天野さん」
「椿先生は?」
「今日はまだよ」
女は仁美よりも少し下の年齢は30代半ばといったところだろうか。もっとも先月40歳になった仁美は実際の年齢よりも5歳は若く見えるため、この女も実際の年齢はどうなのかは分からない。
「せっかくお客さんを連れて来たのにな」
「あと二時間ほどで来ると思うけど」
「そんなに待ってられんな」
天野はそう言うと隆則の方を向く。
「めぐみはん、こちら、昔からの友人の山城はん」
女は隆則を見つめるとほほ笑み、立ち上がると「はじめまして、椿めぐみです」と言って会釈をする。
「山城です」
隆則も軽く頭を下げる。めぐみと名乗った女はじっと隆則の顔を見つめている。
「どうかしましたか?」
「いえ……」
めぐみは軽く頭を振る。
「めぐみはんは椿先生の奥さんや」
二人を交互に眺めていた天野が声をかける。
「よろしくお願いします」
めぐみは再び頭を下げる。
「あいにく椿は不在にしていますが、ゆっくり見ていってくださいね」
「ありがとうございます」
隆則は会釈を返すと、受付とパネルで区切られた展示スペースへと入る。
壁面には絵画のサイズで20号とか、30号とかいうのか、新聞紙を広げたくらいの大きさの絵がずらりと並んでいる。それがすべて女性の裸体像だったので、隆則はやや圧倒される。
隆則は一番入り口に近い端の絵に近寄る。それは飾られた絵の中ではいくぶん小さめの、女のトルソを描いたものである。額に垂らした赤く長い髪の間から微笑む裸女の顔を見た隆則の胸に、微かな不安がよぎる。
- 2014/11/07(金) 02:02:40|
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やや上目遣いの悪戯っぽい目が妻の仁美のものに良く似ているのだ。もちろん仁美は赤毛ではないし、関西に住む画家のヌードモデルなどやるはずもない。他人の空似に決まっているのだが。
隆則は改めて絵の全体像を見る。やや前かがみになったその女は重たげに垂れる乳房や、房々とした陰毛を隠しもせず、白い裸身を余すところなくさらけ出している。女の頬に羞恥を示す微かな赤みが差していることが、その絵から少女のような清楚さと同時に強いエロチシズムを強く感じさせる。
モデルの身体は仁美よりは若々しく、おそらく20代後半か、いって30ギリギリかと思われる。
次の絵に移る。それは同じモデルを使った全身の正面像である。これもヌードだが、こちらは両手で陰部を隠している。女はまっすぐ前を向いてやはり恥ずかしげに微笑んでいる。
(これは……)
隆則は少し下がって部屋全体を見回す。そこで全部で20枚ほど展示されている絵がすべて同じ赤毛の女をモデルにしたものであることに気づく。
「こういうのは興味がないのかと思ったけど、そうでもないようやな」
仁美に似た女の絵に目を奪われている隆則に天野が声をかける。
「なかなかの迫力やと思わんか? 俺も絵のことはようわからんが、椿はんの描いたヌードを見ていると、写真では表現できん迫真性のようなものがあるのは感じるで」
「そうだな……」
隆則は赤毛の女の大胆な裸像に視線を注いだまま上の空で答える。
「ちなみにこれは一人の女の十年間の変化を描いたもんや。一年で2枚、10年で20枚。今回の個展はこの赤毛の女をモデルにした連作が今年10周年を迎えたのを記念したもんや」
「10年だって?」
「古いものから新しいものに、展示順に並べられている。最初の作品がちょうど10年前のものや」
隆則は改めてそれぞれの絵の下に付けられているプレートを見る。最初のトルソの下のプレートには確かに天野の言うとおり「赤毛の女 1999年夏」という文字が記されている。
次の全身像の下には「赤毛の女 1999年冬」というプレートが付けられている。絵のタイトルはすべてそんな風に、絵が描かれた時期を示しているのだ。
「最初の絵では女は25、6といったところかな。まだ若くて、男の経験もそれほどないのが絵を見ても感じられる。それが月日を経るにしたがってどんどん変化していくのがわかるのが面白い」
天野の言うとおり、絵の中の女の身体は確かに少しずつ変化している。最初の頃はどちらかというと堅い身体つきをしているのだが、徐々に全体の線が柔らかくなり、それはまるで青い果実が熟していく過程を見るようであった。
それにつれて女がとるポーズも大胆さを増し、最初は恥ずかしげに陰部を隠したものもあったのが、中頃からのもの以降は女の象徴であるその部分を誇らしげに突き出しているものさえあった。その頃になると羞恥の箇所を覆う繊毛もすっかり剃り取られ、女の縦割れをくっきりと晒しながら妖艶な笑みを口元に湛えているのであった。
「一番新しいのがこの『赤毛の女 2009年夏』というやつや。10年経ったわけやから女は35、6といったところかな。最初の頃と比べると随分そそられる身体つきになったもんや」
天野が笑いながら一番端の絵を指差す。その絵を目にした隆則は衝撃を受ける。
ベッドの上で横たわっている裸の女──情事の後を思わせるその気だるそうな面立ちは、あの二人芝居の夜に妻の仁美が隆則とのセックスの後に見せた表情そのものだった。
- 2014/11/07(金) 02:05:40|
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(仁美……)
この絵のモデルは仁美だ。隆則はいきなりそう確信する。
表情だけではない。そのやや退廃的とも言える官能味を帯びた身体つき――普段の清楚な姿からは想像出来ない仁美のそれは、夫である隆則しか知らないはずのものだった。
(しかし、どうして仁美が――それになぜ赤毛なんだ?)
「お気に召しました?」
絵の前で呆然と立ち竦んでいる隆則の後ろでいきなり声がした。受付に座っていためぐみという女である。大きな瞳でまじまじと隆則を見つめるめぐみに、隆則は引き込まれるように尋ねる。
「この絵のモデルは……」
「私です」
即答するめぐみに隆則は思わず「えっ」と聞き返す。
「でも……」
「私は赤毛じゃないとおっしゃるんでしょう。これはウィッグを付けたものです」
めぐみは相変わらず隆則の目をじっと見つめながら答える。
「赤毛が多分ウィッグだってことは僕にも分かりました」
隆則はどぎまぎしながら答える。
「こんな燃えるような赤毛の女が滅多にいるはずがない。それより――めぐみさんとおっしゃいましたか、この絵の女性はあなたとは顔が似ていないように思えるのですが」
「そや、めぐみはんの顔とは違うで」
隆則とめぐみのやり取りを聞いていた天野も口を挟む。
「僕は椿先生からは、この絵のモデルは奥さんやなくて、恋人やと聞いているけどな」
「それはお酒の席の冗談です。あの人はそんなにもてませんわ」
めぐみはおかしそうに笑う。
「この絵なんか、女がいかにもセックスのすぐ後といった顔をしているでしょう? 画家がモデルと実際に寝ていないとこんな絵は描けませんわ」
めぐみはそう言って婉然と笑う。
「こんな大胆な絵のモデルになっていることを知られたくなかったから、顔はわざと変えてもらったんです」
「もう知られてもええんですか?」
「ええ」
天野の問いにめぐみは頷く。
「10年も裸を描かれているといつの間にか羞恥心はなくなりましたわ。それにいつまでも恥ずかしがってばかりいる年齢でもないですし」
「ふうん……」
天野はまじまじとめぐみの身体を見つめる。
「どうしたんですか、天野さん」
「いや、あの色っぽい裸がめぐみはんのものやと分かったら、なんや、急に生々しい気分になってきましてな」
「もう、嫌ですわ」
めぐみは天野を軽くぶつ真似をする。そんなめぐみの姿を、隆則は釈然としない気持ちのまま眺めているのだった。
- 2014/11/07(金) 02:08:38|
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「ああ言っていたけれど、あの絵のモデルはやっぱりめぐみはんやないと思うな」
天野はジョッキに残った生ビールをぐいと飲み干すと、そう言って一人で頷く。
画廊を出た隆則と天野は、天野の行きつけの居酒屋で飲んでいる。
「そろそろ日本酒にしよか。マスター、飛露喜をちょうだい」
「へい」
目の細い居酒屋の主人が返事をする。フィリピン人らしい女の子が日本酒の一升瓶を冷蔵庫から取り出し、升の中のグラスに慣れた手つきで注いでいく。天野はあふれんばかりに注がれた日本酒にうまそうに口をつける。
「天野はモデルが誰だか知っているのか?」
「いや、知らん」
隆則の問いに天野は首を振る。
「それでもめぐみはんやないのは確かや。これでも俺は風俗雑誌にエロ漫画を描いている男や。女の身体にはちょっとうるさいで」
天野はそう言うとニヤリと笑い、冷酒を口に含むと「うん、絶対にめぐみはんやない」と再び首を振る。
「どうしてそう思うんだ」
「それは簡単や。あのモデルの身体つきは経産婦や」
「経産婦?」
「子供を生んだことがあるってことや。椿先生とめぐみはんと間には子供はいない」
「そうなのか?」
「ああ」
あの絵のモデルが妻の仁美ではないのかという疑念に取り憑かれている隆則は、実はめぐみがモデルだったという結論になる方が有り難い。しかし、天野によってそれがあっさりと否定され、隆則は胸の中に錐りを沈められたような気分になる。
「めぐみさんを見ながら、この身体で子供を生んだらどうなるかって想像しながら描いたってことはないか?」
「ないない」
天野は笑って否定する。
「絵描きってのは目の前の対象に集中すると、そんな余計なことを考えている余裕はないで。モデルの外面から内面に至るまで、そのすべてを自分の絵の中に写し取ろうと格闘するもんや」
天野はそこまで言うと急に声を潜める。
「あのモデルの女、相当の淫乱やで」
「何だって?」
隆則は驚いて聞き返す。
「どこにそんな根拠がある。ヌードモデルをしているから淫乱というのは偏見だろう。それとも、あれだけの絵で天野はそこまでモデルの内面がわかるって言うのか」
「おいおい、どうしたんや、山城。そんなにむきになって。ひょっとしてあの絵の女に惚れたか?」
隆則の勢いに天野は苦笑する。天野は仁美には会ったことはないため、絵のモデルである赤毛の女が隆則の妻に似ているということは知る由もない。
「理由は簡単や。あの女の絵はあそこに飾られているだけやない。画廊には1年で2枚、合計20枚飾られていたが、実はその5倍の100枚はあるんや」
「100枚だって?」
隆則は驚きに目を見開く。
「どうしてそんなに……いや、それだけ描いているのならどうしてもっとたくさん展示しないんだ。画廊の壁面はまだスペースがあったぞ」
「簡単や、とてもやないが大っぴらに飾れるような絵やないからや」
「どういう意味だ」
「浮世絵で春画ってのがあるやろう。残りの80舞の絵はまさにそれや。あの赤毛の女が色々な男とセックスしている――時には同時に何人も受け入れたり、時には同性も相手にしている様子を描いたもんや」
隆則は天野の言葉に衝撃を受ける。
(仁美はヌードモデルをしていただけでなく、俺の知らない相手に抱かれ、それを絵に描かせていたというのか)
「中にはいわゆる責め絵もあるで。色々な方法で縛られて、ロウソクや張り型の責めを受けている様子がなかなかの迫力や」
「天野はその絵を見たことがあるのか?」
「ああ、見たことがあるからこんな風に説明出来るんやが」
勢い込んで尋ねる隆則に、天野はきょとんとした表情で答える。
「どうやったら見れるんだ」
「そんなきわどい絵やからな。おおっぴらに展示されることはない。俺は椿先生に直接見せてもろたんやが」
(駄目か……)
今日見た絵だけではモデルが仁美であるとは隆則には確信出来ない。まして天野の言う通り、赤毛の女がもっときわどい姿を描かせていたということならそれはやはり仁美ではないのではないかという気持ちの方が大きくなって来る。
あの清楚な妻がヌードモデルになるくらいならともかく、複数の男や女を相手にセックスし、SMめいた行為も行うなど考えられない。おそらく水商売や、風俗の女が金のためにモデルになったのではないか。
画廊に展示されていたやや取り繕った表情の絵では分からないが、そんなきわどい絵ならこの目で見れば、モデルが仁美でないことが確かめられる。俺しか知らないはずのあの時の妻の表情――それがキャンバスの上に記録されていないのなら、それは仁美ではない。
(だからと言って、その椿という画家に直接あたる訳には行かない)
もし妻が椿のモデルの赤毛の女なら、自分の素性に椿が気づく恐れがある。仁美の不貞の相手かもしれない男に手の内を見せる訳には行かない。
隆則が悩んでいると天野が「残りの絵を見る方法はあるで」と言う。
「えっ?」
- 2014/11/07(金) 02:12:40|
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「と言っても本物は難しいが。残りの絵――正確に言えばあそこに飾ってあった分とセットやが、会員を対象に複製画を販売しているんや」
「いくらだ?」
「俺は買ったことはないが、確か一枚5千円、半年置きに5枚セットが2万円やったかな」
「一枚5千円? そんなにするのか」
「複製とは言っても写真製版の精密なもんやからなかなか迫力があるで。ちょっと見には本物みたいや」
「1年分だと10枚で4万円、10年分が100枚で40万円か……結構高いもんだな」
隆則が家計とは別に貯えている金から払えない額ではないが、妻がモデルだと決まった訳ではない絵の、それも複製に対して40万円もの金を出すのは馬鹿馬鹿しい。
ましてそれが本当に妻だったなら、画家である椿と妻はただならぬ関係にあることが想定される。自分の妻に手を出した男の懐を、結果的に潤すことになるのは釈然としない。
「こういったもんは値段はあってないようなもんやからな。江戸時代の好事家は有名な浮世絵画家が描いた春画にびっくりするような金を払った。浮世絵も版画やから複製みたいなもんやろ。そう思えばそれほど高いとは言えん。椿はんの絵のことを現代の浮世絵やという会員も多いんや」
「その会員たが、いったい何人くらいいいるんだ」
「そうだな、固定しているのは100人くらいだったかな」
「100人か──」
それが多いというのか、少ないというべきなのか隆則にはよく分からない。しかしネットに裸が流出して何万人もの目に触れる事態を思うと、多くはないのかもしれない。
「案外少ないのかな」
「いや、そうでもないで。固定的な100人が年4万円払ったら400万円になる。それに今回のように個展のたびに新しい会員が入って、平均4、5万円は使うらしいから、年の収入は5、600万円になるんやないかな」
天野は羨ましそうな声を上げる。
「それに、椿はんにとってこれはあくまで副業やからな。それで夫婦2人がそれほど贅沢せなんだら暮らしていけるだけの金を稼がせてもろてるんやから、赤毛の女様々って訳や」
天野の言葉に隆則はふと椿の妻のめぐみの顔を思い出す。
初対面であるはずの自分の顔をまじまじと見つめていためぐみ、隆則はその意味ありげな瞳をどこかで見たような感覚に襲われているのだ。
「会員になるにはどうしたらいいんだ?」
「別に難しくはない。運転免許証とかの、身分と年齢を証明出来るもんを提示すればええ」
(身分の証明か――)
隆則は少しの間考え込んだ後、口を開く。
「天野、頼みがある」
「何や?」
「最近1年分の赤毛の女の複製画を手にいれて、俺に送ってくれ。もちろん金は払う」
「別にええけど、最近1年分やったらたぶん画廊に置いているで。そんなに気にいったんやったら今から戻って買いにいこか?」
天野はそう言うと残った酒を飲み干し、グラスを置く。
「いや、それはやめておこう」
「何でや? 今行ったら椿はんがもう来てるかもしれんで。サインくらいもらえるで」
隆則と天野が画廊に行ったとき、椿はあと2時間くらいで来ると言った。天野の言うとおり今から画廊に戻れば鉢合わせになる可能性がある。仁美と椿の関係がわからないうちに、相手に自分の身分を明かすのはうまくないと隆則は考える。
「何や、訳ありの様子やな。まあええわ、俺の名前で買ってすぐに送ったるわ」
天野はしばらくの間、隆則の様子をいぶかしげに見ていたが、やがて頷くとマスターにお代わりを注文するのだった。
- 2014/11/07(金) 02:23:22|
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「……お父さん」
千鶴の何度目かの呼びかけに、隆則はようやく顔を向ける。
「ああ、千鶴か。どうかしたか?」
「どうかしたかはこっちの科白よ。どうしたの、ぼんやりしちゃって」
「ぼんやりしていたか?」
「何度も呼んだんだけど、全然気が付かなかったじゃない。ぼんやりどころじゃないくらいぼんやりしてたわよ」
「そりゃ大変だ」
口を尖らせて言い募る千鶴に、隆則は苦笑する。
「笑い事じゃないわよ、もう。最近お父さん、何だかおかしいわよ。そう、この前の出張から帰って来てからずっと」
千鶴の指摘に隆則はどきりとする。まだ13歳だというのに「女の勘」が働くのだろうか。肝心の仁美の方は隆則の変化に一向に気が付いていないようだが。
大阪で「赤毛の女」の絵を見てからというもの、隆則は気が付くとそのことばかりを考えていた。あれは本当に妻の仁美を描いたものだったのだろうか。
裸婦という題材が画家にとって決して珍しいものでない以上、モデルになる女性も存在するはずだし、それが必ずしもプロとは限らない。隆則がずっとそう思っていたように、妻の仁美が堅い女だったとしても、芸術のために椿という画家のモデルになることないとはいえない。
しかし妻のそんな秘密に、隆則がたまたま入った画廊で行き当たるなどという偶然はあり得ないように思えるのだ。
(そもそも俺は本当に赤毛の女の絵を見たのか? あれは全部酒に酔ったことが原因の幻ではないか)
隆則はそこまで考えるが、すぐにそれは極端な考え方だと思い直す。
(むしろこれは逆に考えるべきではないか)
隆則はそう思い直す。一年に二回きりの逢瀬、しかも普段の生活圏から遠く離れた場所で、帰省のたびに学生時代の友人と旧交を温めるという理由、そんな条件が重なったからこれまでは気が付かなかった。それが結果として10年も続いたのである。今まで露見しなかったことがむしろ偶然なのだ。
「……お父さん」
千鶴の声で再び隆則の思考は中断する。
「何か言ったか?」
「いやね、またぼんやりしちゃって。お父さん宛に荷物が着いていると言ったのよ」
「荷物だって?」
「厚みはそれほどないけれど随分大きなものよ。大判のポスターぐらいの大きさの」
千鶴の声に隆則はあわてて立ち上がる。千鶴の言ったとおり玄関ホールに大きな板のような包みが置かれている。約束どおり天野が2年分の複製画を買って、送ってくれたのだろう。
(仁美が留守の時で良かった……)
あの時は後先も考えず天野に頼んだのだが、仁美が在宅中に荷物が届いていたら、誤魔化すのに苦労しただろう。
(しかしこれで、あの夜のことは夢ではないということが証明されたな)
隆則は思わず苦笑しながら荷物を抱え、書斎に運び込もうとする。すると廊下で千鶴がその様子をじっと眺めている。
「それは何なの? お父さん」
「何でもない。気にするな」
「ポスターでも買ったの? 千鶴も見てみたいな」
「千鶴が見ても面白くないものだ。自分の部屋に行ってなさい」
千鶴はしばらくの間、隆則の様子を伺っていたがやがてくるりと後ろを向き、リビングに戻る。隆則は安堵の息をついて絵を書斎に運び込み、包みを破る。
- 2014/11/07(金) 02:26:14|
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複製画は白いパネルボード二枚に挟まれている。さらにA5サイズの薄い冊子が2冊同梱されており、それはどうやらこれらの絵の解説本に当たるらしい。
冊子の表紙にはそれぞれ「2008年夏」、「2008年冬」と記されている。隆則は、画廊にあった最も新しい絵は「2009年夏」だったと記憶しているが、5枚セットが完成しているのは2008年冬のものが最新なのかもしれない。
ボードを外すとほぼ実物大の複製画が現れる。それは隆則が大阪の画廊で見た絵の一枚である。
仁美に似た赤毛の女が全裸でやや肢を開き、腰に手をあてた姿勢で立っている。その裸身は十分成熟しており、乳房は重たげに垂れ腰も逞しいまでに張り出している。
その熟女の色気がムンムンするような姿態とは裏腹に、青々と剃り上げられた陰部がまるで少女のような趣きを見せているところがなんともアンバランスである。
複製画とは言え、一枚5千円という決して安いとは言えない値段を付けるだけあって、印刷はちょっと見ただけでは本物と見紛うまでの精密さと迫力を有しており、筆の跡の凹凸まで再現されているほどである。
(これは本当に仁美なのか)
他人の空似とばかりは言えないほど良く似ているが、仮にこの絵のモデルが仁美であったとしても、そのことのみをもって責める訳には行かない。裸婦像は芸術と認められており、そのモデルをしてどこが悪いのかと開き直られればそれまでである。
(しかし、この他の4枚が――)
天野の言う通り「春画」とも言うべきものだったとしたら話は別である。いくら歌麿や北斎などの巨匠が手掛けた分野と言っても、男女の交接を描いた春画は現代でもおおっぴらには展示公開できない類いのものである。
(もしそうだった場合、俺と仁美は夫婦として終わってしまうかもしれない)
そう思うと隆則はなかなか今見ている絵に手を伸ばせずにいる。この絵の向こうにこれまでの穏やかな夫婦関係が一変する風景が待っているのかもしれないという事実を確認するのが恐ろしいのだ。
かといって、このままにしておくこともできない。隆則は思い切って絵を取り去る。
(……!)
現れた画像を目にした隆則は息が止まるような衝撃を覚える。それは仁美そっくりの赤毛の女が、全裸像を正面に向けたまま胡座をかいた男の上に乗せ上げられて繋がっているものだった。
男の長大なものは女の股間をくぐり抜けて、無毛の陰部を貫いている。女は男のものを押し込まれる圧迫感に眉を寄せながら、一方ではどこか恍惚とした表情を浮かべている。
隆則は急に高まってきた鼓動を必死で押さえながら絵をめくる。3枚目は女が両手吊りの姿勢で高々と肢を上げ、やはり背後から男に貫かれているものだ。2枚目の絵と違うところは男の巨大なものが女陰ではなく、双臀の狭間を深々と抉っているところだった。
4枚目の絵に移る。現れたのは横たわった男の上に赤毛の女が乗せ上げられ、さらに背後から別の男に貫かれている情景を描いたものだった。
隆則は喉の奥まで見えるほど大きく開いた女の口から、女の歓喜の悲鳴が聞こえて来るような錯覚に陥った。また、これまでの絵でははっきりと分からなかったのだが、女の赤毛はまるで日本髪を崩したように乱れており、女を前後から犯している男たちも、背中には龍や虎の刺青をしており、髪はいわゆる銀杏髷に結っていることに隆則は気づいた。
最後の絵は女が膝立ちの姿勢になり、仁王立ちになった二人の男が左右から突き出してくる男根を両手で持ち、うっとりとした表情でしゃぶっているものだった。
要するにこれらの絵は、まさに江戸時代の春画を現代に、それもリアルな技法でよみがえらせたものなのだ。
絵の構図もさることながら隆則にとって衝撃的だったのは、最後の絵の赤毛の女の半ば放心したような顔付きが、画廊で見たものと同じくセックスの後でけだるい充足感に浸る仁美の表情とそっくりだったことである。
- 2014/11/07(金) 02:30:11|
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他の五枚も同じような組み合わせだった。仁美そっくりの赤毛の女が様々な姿態をとらされ、そして犯される――その異様な迫力は、まるで仁美自身が隆則の目の前でそういった行為を演じているように見えた。
どうにか最初の衝撃から立ち直った隆則は、解説本のほかに薄い文庫本の体裁をした小冊子が添付されていることに気づく。それには「椿圭吾作 およう受難記」という表題が付され、小説めいた文章が載せられていた。
要するに椿が、仁美あるいは仁美に似た女をモデルとして使った一連の作品はある物語――おようという女の半生を描いたものだということらしい。
この『およう受難記』という物語を簡単に紹介すると以下の通りである。
物語は江戸時代も終わりに近い1837年(天保8年)に始まる。
長崎の出島に店を構える津島屋の一人娘のおようは、はっきりした目鼻立ちと燃えるような赤毛という特徴的な風貌をしていた。
これには理由があり、おようの母親であるお滝はいわゆる「らしゃめん(洋妾)」、つまり出島にやって来るオランダの商人を客に取る娼婦だったのである。
お滝はもともと武家の出、長崎奉行所で勘定方を勤める沢井源左衛門の娘だったのだが、ある日源左衛門が上司の不正の責任を押し付けられたあげく、腹を切らされたことからその運命は激変した。
源左衛門の死により気力を喪失した母親は病のとこに伏し、お滝は生きていくために、そして母親の薬代を稼ぐために娼婦に身を落とすほかなかったのである。
普通の娼婦が忌み嫌う外国人の客を毎日のようにとらされてお滝はいつしか身ごもった。堕胎が間に合わなくなるまで働かされていたお滝を救ったのは、生前の源左衛門と親交のあった津島屋十兵衛である。
十兵衛は清やオランダの物産を扱う、出島でも五本の指に入る豪商だったが、その名が由来を示すように元々は津島海峡を拠点に活動していた水軍の出である。先祖伝来の侠気がお滝の悲運を見逃すことができなかったのである。
お滝は病床の母親と共に津島屋に引き取られた。しばらくしてお滝はおようを産み、お滝の母親はまるでそれと入れ替わるように、赤毛の赤子、おようの元気な泣き声を聞きながら息を引き取った。
妻を早く亡くしていた十兵衛が、お滝を後妻にしたのはそれから間もなくのことである。十兵衛と血の繋がらないおようも、十兵衛の養女として届けられた。
津島屋の庇護の下で大切に育てられたおようだったが、この国では変わった見かけの人間は例外なく差別の対象となる。津島屋の威光もあっておようのことを表立って悪く言うものは滅多にいなかったが、およう自身は他の子供たちとの外見上の差にかなりの屈託と孤独を感じていたらしい。
そんなおようが十四歳になった時、恋に落ちることになる。相手は沢井兵吾という二十歳の若者である。
兵吾は元々は長崎奉行も務めたこともある二千石の旗本、沢井壱岐守の三男坊であったが、生来絵の才能に秀でていたため、長崎には蘭画の修行をするためにやって来ていたのである。
早熟な兵吾はそこで知ったヨーロッパの印象派の技法を浮世絵に取り入れ、独特のエキゾチックな画法を編み出すことに何とか成功していた。兵吾の絵は芸術性はともかく、出島にやってくるオランダ人が土産にしたがるわかりやすさがあり、なんとか食って行くには十分なほどの報酬を得ることができたのである。
異国の絵を見慣れた兵吾は、肌が浅黒く身体もずんぐりした日本の娘は物足りない。そんな兵吾にとっては透き通るような白い肌と文字どおり日本人離れしたをしたプロポーションのおようは極めて魅力的に見えたらしい。差別の対象となる燃えるような赤毛も兵吾にとっては情熱の印に映ったのである。
おようにとってもは初めて自分のことを偏見でをもって見ない相手と巡り合ったと言える。兵吾とおようの間に芽生えた恋はみるみるうちに育ち、あっと言う間に燃え上がる。
人目を忍ぶ短いが激しい恋愛の後、ある日突然に兵吾に帰国の時がやってくる。江戸を大火が襲い、消火の指揮にあたっていた長兄が焼死したのである。次兄は既に他家の養子に出ており、長兄の息子はいまだ幼く家を継ぐことは出来ない。そこで兵吾が家を継がざるを得なくなったのである。
- 2014/11/07(金) 02:35:29|
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おように未練たっぷりの兵吾だったが、赤毛の娘を二千石の旗本の妻に出来ると考えるほど世間知らずでもないしその度量もない。若い二人が泣きの涙で別れてからしばらく経ってから、おようの母親のお滝は娘が身籠もっていることに気づく。
お滝は目の前が暗くなったような思いになる。母娘ともども津島屋の世話になっておきながら、それを裏切る結果となったことに憤慨したばかりでなく、もともとは武家の出だという矜持が娘のふしだらな行為を許すことが出来なかったのである。
お滝はおようを激しく責め立て、腹の中の子供の父親が兵吾がであることを白状させる。
お滝はおようの腹の子を堕胎させようとするが、母娘の異様な雰囲気に事態を察した十兵衛がそれを止める。もともとはおよう自身が望まれない娘であったところを、自分たちが育てて来たではないか。その時のおように難の罪もなかったように、産まれてくる子供にも罪はないはずだというのである。
医師の診断も、おようはすでに中絶するには困難な段階に達しているとのことだった。お滝は悩んだ末、たった一人の愛娘を生命の危険に晒すよりは生ませることを選択したのである。
おようは無事に、母親似の透き通るような白い肌の娘を産んだ。母親との違いは髪が赤くなく、濡れるような黒髪だったことである。娘は十兵衛によっておようの父の母国である「オランダ」にちなんで「蘭」と名付けられる。
当時としては忌み嫌われる混血、そして私生児というハンデをもっているお蘭だったが、生まれてしまえばしまえば母親似の愛らしさに混血児特有の白い肌は、人の心を引き付けない訳がない。ましてその出生の不幸についてはお蘭自身には責任はないのである。津島屋夫婦は不憫さのゆえに孫のお蘭を溺愛するようになった。
一方、愛しい兵吾と別れたおようの孤独は深まる一方である。しばらくしておようは十兵衛の指示により津島屋の手代である新吉を婿に取ることとなった。おようが十六歳、新吉が五つ上の二十一歳の時である。丁稚のころから津島屋に奉公している新吉は、おようが赤ん坊の頃に子守をしていたこともあるほどである。
新吉は確かに仕事熱心で将来有望な奉公人だったが、それはせいぜい長年まじめに勤め上げたあげく、中年を過ぎたころに暖簾分けを許される程度の有望さであり、津島屋の店格からみると本来なら婿になれるような立場ではなかった。
要するに新吉は混血児であり、かつ「疵物」になったおようと、その娘であるお蘭を娘として引き受けることと引き換えに、津島屋の後継者の地位を手に入れたことになる。津島屋にとってこれはおようのためでもあり、孫のお蘭の将来を案じた故の配慮でもあった。
その後おようとお蘭は一見平穏でな幸福な生活を送ったといえる。婿の新吉が津島屋の期待どおり、もともと惚れ抜いていたおようと、血は繋がっていないものの髪の色の他はおようにそっくりのお蘭を津島屋夫婦とともに世間の偏見から身体を張って守ったからである。
五年ほどは平和な生活が続いた。新吉は懸命に仕事に励んだこともあり津島屋の一番番頭の役割を立派にこなすようになる。おようも人妻らしい色気と風格が滲み出てきており、お蘭もまた周囲の偏見にも負けず、明るく可愛らしい娘に育っていた。
ここまで来れば安心である。新吉とおよう夫婦に店を任せ、自分たちはのんびり隠居生活を送ろうと十兵衛とお滝の津島屋夫婦が考えたその頃、再び一家を暴風が襲う。おようが突然出奔したのである
- 2014/11/07(金) 02:40:01|
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おようの出奔は津島屋の平穏な日常を根本から揺るがすものだった。
原因はお蘭の父親である沢井兵吾が長崎奉行となって赴任してきたことにある。沢井家を継いだ兵吾は、絵師の修行のために長崎に在住したことで同地の事情に通じているだけでなく、清国人とも簡単な会話なら出来ることなどが弱冠二十七歳で異例の抜擢となったのである。
沢井家を継ぐ際に長兄の未亡人であるで里美を妻に迎え、同じく息子を養子とした兵吾だったが、初恋の相手ともいうべきおようのことを忘れていなかった。兵吾は長崎に赴任早々おように連絡をつけ、文字どおり攫っていったのだ。
あまりのことに新吉のみならず、津島屋夫婦も呆然とする。津島屋夫婦と新吉にとってさらに衝撃的だったことはおようがこの五年間、兵吾と定期的に文を交わし合っていたことである。新吉も津島屋もおようの別の顔にまったく気づいていなかったのである。
十兵衛の怒りとお滝の意気消沈ぶりは傍目にも気の毒なほどであった。
おようは疵物とはいえ腐っても鯛とのたとえがあるように、長崎は出島を代表する貿易商である津島屋の家付き娘である。おようを新吉に嫁がせた後も、十兵衛は新吉に対してそれまでの使用人に接する態度をまったく崩さなかったほどである。
新吉としては自らの妻とは言え、十兵衛の前ではおように対して今までどおり、主人の娘に対する奉公人という態度をとらなければならない。そういった日常は結果として新吉の奮起を促すこととなり、津島屋の後継者対策にとっては吉と出た。おようが出奔する直前には津島屋は新吉なしには回らなくなっていたほどである。
新吉自身もまた、おようを嫁にした当時と比べると商売人としての成長は著しく、また津島屋にとっての自分の価値を正確に見定めることが出来るようになっていたのである。
十兵衛は豪放磊落な性格の反面、極めて小心なところもある。娘として育てて来たおようが裏切りに打ちのめされた十兵衛は新吉にあわせる顔がなかったのである。
新吉の奮起のもう一つの動機は、おように対する憧憬に近い愛情である。思いがけず妻にすることが出来た主家の娘にたいし、新吉は献身的な愛情を注ぎ、そして自分と血の繋がりもないお蘭をわが子同然に慈しんで来たのである。
しかしおようはそんな新吉の一途な思いを裏切ったのだ。妻として暮らしたはずのおようの心は、このt年の間まったく自分のところにはなかったのである。「およう受難記」のこのくだりの新吉の絶望と怒りの描写は実に生々しい。
新吉は言わば寝とられ男であり、この時代の「女敵討ち」の風習から言えば仮に新吉が武士であったら、おようと兵吾を並べて斬り殺す権利すらあるのだ。
そうでなくても、兵吾が旗本の息子とは言え絵師見習いの三男坊だったならともかく、三千石の当主でありなおかつ長崎奉行ともなると出島有数の豪商である津島屋といえどもさすがに歯が立たない。苦情を持ち込むことが精々であったが、知らぬ存ぜぬと白を切られるだけであった。
おようの出奔に対して新吉がどれほど悲嘆に暮れ、また怒りを露わにしても、十兵衛とお滝としてはかつての使用人に対してひたすら恐縮するしかなかったのである。
この事件がきっかけで、ずっと新吉を使用人扱いしていた十兵衛と、それに対して内心では反発していた新吉の立場は徐々に逆転することになった。これにはそれまで緩衝材になっていたお滝が、娘の不貞行為に責任を感じてすっかり憔悴してしまったことも原因となっていた。
- 2014/11/07(金) 02:44:25|
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「およう受難記」という物語をそこまで夢中になって読み進んだ隆則は、まるで胃が締め付けられるような不安感を知覚した。
(これはいわゆる「モデル小説」ではないのか?)
作者である椿の本業はもちろん画家であるため、この小説めいた代物の文章は概ね稚拙であることは否めない。しかしながらそれぞれの登場人物の感情の動きの描写は迫真性があり、まるで本人から聞き取ったのではないかと思わせるほどだった。
それはこの小説の登場人物にモデルが存在すると考えると納得出来るのではないか。
赤毛の女という設定から、おようは明らかに妻の仁美がモデルである。絵師見習いでその後は長崎奉行となった兵吾は作者の椿がモデルだろう。
(そうすると新吉は俺のことか)
そこまで考えた隆則はあることに気づいて愕然とする。
(おようの娘のお蘭は千鶴ということになる。お蘭は新吉が娘として育てているが実は兵吾の娘だ)
すると、千鶴は俺の子ではないということか?
(馬鹿な。そんなはずがない。これは椿の妄想に決まっている)
隆則は思わず首を振り、物語を読み進める。
おようの出奔から一年後、ようやく妻を失った痛手から回復したかに見えた新吉は正式に津島屋の養子となり、十兵衛の遠縁の娘であるおりんを後妻に迎え、ほどなく津島屋の跡目を継ぐことになる。
新吉はそれまでの温和で快活な性格から一変し、無口で陰気な人間になってしまっていた。新吉とおりんの間には程なくして女の子が一人と、男の子が一人生まれる。津島屋にとってはお蘭と合わせて三人の孫が出来たことになるが、その一方で津島屋におけるお蘭の立場は微妙なものになった。
新吉の二人の子供と津島屋の間にはほとんど血の繋がりはない。一方、お蘭はいうまでもなく津島屋の実の娘であるおようが産んだ子である。
しかし、お蘭が津島屋の跡目を継ぐことはもともとあり得ない。何しろお蘭は不義の子であるばかりでなく、当時は出島の中でも差別の対象とされた混血児なのである。おようが出奔していなければ話は別だが、津島屋夫婦が後ろ盾になったとしても、お蘭の立場は今後良くなることはないのである。
出奔するならいっそ、娘まで連れて行ってくれたら良かったのだ。長崎奉行の娘なら、混血児といえど良い目も見れるだろうにと奉公人までが陰で囁くようになったのは、お蘭が十二歳になった頃である。
微妙な空気の変化を察知したお蘭は自らの居場所を守るために驚くべき手段に出た。いわば義理の父親というべき新吉を誘惑したのである。
お蘭がこのような大胆な行為に及んだ理由は定かではない。おようの奔放な血を引いたせいなのか、父親として育ててくれた新吉をいつしか男として愛することになったのか。
新吉にとっても髪の色を除いてはたった独りの愛した女、そして自分を裏切った憎い女であるおようそっくりのお蘭である。西洋人の血を引くお蘭は同年齢の娘に比べてはるかに早熟した肉体を有していた。乳房は十分膨らみ、尻は丸みを帯び、純粋な日本娘の十五、六歳の見かけに相当するほどであった。
血が繋がっていないことが新吉についに禁忌を踏み越えさせた。新吉は若鮎のようなお蘭の肉体に溺れた。
ここから「およう受難記」は、延々と新吉とお蘭の疑似的な「近親相姦」の描写が続く。隆則にとってはある意味で胸が悪くなるような叙述だが、あまりの迫力にページを繰る手を止めることが出来なかったのだ。
- 2014/11/07(金) 02:48:29|
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