主に寝取られ物を集めた、個人文庫です。
(香澄のやつ、やはり裏切る気だな……)
私は怒りに頭がカッと熱くなります。
(どうするか……)
そういえば今回の妻と村瀬の不倫は妻が自分から告白し、それを村瀬と久美が認めたもので、何か物証があるわけではありません。もちろん過去の不倫については当事者が認めており、誓約書まで書かせたわけですから、それはそれで十分なわけです。
しかしさらに誓約書にも違反したということを立証するには、決定的な証拠があった方が良いといえます。
もちろんこうやってミクシイを使って連絡を取っているわけですからそれだけでも誓約書違反です。ただ、もしも裁判などになればネットを使って連絡しただけで5000万円もの慰謝料を要求することは「権利の濫用」といわれかねません。それにこちらは会社にあったキーロガーを使って妻のIDとパスを不正取得したという弱みもあります。
(よし、証拠を押さえてやる)
妻と村瀬がもう一度抱き合うことを認めるのは正直言って苦しい気持ちもあります。しかし、私は敢えて2人を泳がせ、決定的な証拠を得ることにしました。そう心に決めると、念のためにこれまでの妻と村瀬のやり取りを、ファイルと画面コピーの形で保存しました。
次の日、家に帰ると妻は分厚いカーデガンを着て、ご丁寧にもマスクまでかけていました。
「なんだか風邪がぶり返したみたいで……申し訳ないですが、今日は早めに休ませていただいて良いですか」
妻は小さく咳をしながらそう言いますが、その視線は頼りなく泳いでいます。長年一緒に暮らしているから分かりますが、妻が嘘をつくときの癖です。しかし私はそれに気づかぬ振りをしてわざと優しく声をかけます。
「そうか、大事にしろよ」
「……すみません」
妻は多少罪悪感を覚えるのか、顔を伏せて小声で答えます。
私は妻と村瀬が裏切ろうとしているのを知っていることを気づかれないよう、細心の注意を払いました。家に帰っても必死で平常心を保ち、妻に対してもことさらに穏やかな表情を見せ、時には笑いかけるようにします。妻は少し前のようなそっけない態度はなくなりましたが、その代わりどことなくおどおどした、心ここにあらずといった雰囲気を見せます。やはり心に後ろ暗いことがあるからでしょうか。
この頃、なぜかまた妻の作ったものを食べるのが再び苦痛になって来ました。それでも私はこみ上げる吐き気をこらえながら、必死で食べました。そんなことが身体に良いはずがありません。私は徐々に体重が落ちてきました。
金曜の夜、仕事で遅くなった私が家に着くと、起きて私を待っていた妻が申し訳なさそうに切り出しました。
「……あなた、すみません。明日、外出をしたいのですが」
「どこへ行くんだ」
「佐和子と美奈子が、久しぶりに食事でもしようと誘ってくれて……」
「そうか……」
いつもいつも不倫の言い訳に使われる佐和子さんと美奈子さんもいい迷惑です。私は懸命に内心の怒りを堪えながら答えます。
「風邪はもういいのか?」
「はい……」
「たまには香澄も気分を変えた方が良いだろう。美奈子さんと佐和子さんなら心配ない。俺に気にせず行って来い」
「すみません……」
妻は蚊の鳴くような声で返事をします。本質的には嘘が嫌いな女ですから、私に罪悪感を抱いているものと信じたいです。
土曜の朝食が終わると妻は丁寧に化粧をし、お気に入りのコートを着て玄関に立ちました。
「あなた、行って来ます」
「ああ、楽しんで来い」
私の何気ない言葉に妻ははっとした表情になり、顔を伏せました。
- 2014/06/23(月) 00:58:17|
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「夕方には帰りますから……」
妻は小声でそう言うと、家を出て行きました。男に抱かれるために出かける妻を見送るというのはなんとも嫌なものです。こんな気持ちを人生で味わうことになるとは思ってもいませんでした。
私はすぐに待機している興信所の調査員に電話します。ミクシイでのやり取りにより、妻が村瀬と会う日は予め分かっているわけですから、ピンポイントで調査が出来ます。私自身が尾行しても良いようなものですが、証拠としての価値を考えると興信所の報告書があった方が良いと思いました。
妻が不貞を働くことを知りながら泳がせる、当時のことを今思い出してもこの時期が一番辛かったです。知らないということはある意味幸せなことです。
やがて興信所の調査員から電話がありました。妻は出かけるとまっすぐにラブホテルに向かったということです。昼前からラブホテルで若い男と情事に耽る女、そんな女が自分の妻だとは……実に情けない話です。
次に興信所から電話があったのは4時間以上後でした。妻と村瀬はよほど名残惜しかったのでしょうか。10時から2時までの4時間をホテルの中で過ごしたようです。
これで証拠は押さえたわけですから、調査はここで切り上げても良いのですが、私は念のためにそのまま継続を依頼しました。妻の行動の全てを把握しておきたかったのです。
妻はその後、村瀬と共に元町へ向かいます。私には美奈子さんと佐和子さんと買い物に行くと言って出かけたのですから、何か買って帰らないと不審に思われると考えたのでしょう。
元町で久美が2人と合流したのには少々驚きました。初日以降、久美はミクシイにはほとんど顔を出していなかったので、今回の逢引にはからんでいないのかと思っていたのです。考えてみれば村瀬と久美は電話で連絡が取れるわけですから、3人が行動を共にしてもおかしくはありません。
3人はしばらく一緒にショッピングをします。といっても、妻と久美の女同士の買い物に村瀬が付き合うという感じでしょうか。確かに3人が仲良く買い物を楽しんでいる写真を見ると、母親とその娘と息子、という風に見えなくもありません。
4時半ごろ、妻と村瀬・久美は駅で別れます。調査員からここで再び継続の要否確認の電話が入ります。
「妻が帰って、村瀬と久美はその場に残っているのだな」
(はい、このまま奥様を尾行しますか?)
「……」
予め夕方には帰ると行って出かけた妻ですから、おそらくこのまままっすぐ帰ってくるでしょう。私は引っかかることがあって少し考えます。
「村瀬と久美の方を尾行してくれ」
(わかりました)
私が当初から村瀬と久美に対して抱いていた疑念がありました。それが正しいかどうかが、証明できるかもしれません。村瀬と久美は妻と別れると駅から元町通りを抜け、山下公園に向かいました。そこから中華街に行き食事をします。
(デートコースじゃないか……)
そうこうしているうちにそろそろ妻が帰ってくる時間です。私は調査員に、以後の連絡はメールに切り替えるように依頼しました。しばらくすると玄関のチャイムが鳴りました。
「ただいま」
妻が帰ってきました。私が玄関まで迎えると、妻は手に持った買い物袋を置きます。
「遅くなってごめんなさい……すぐに食事の用意をしますね」
妻は一瞬私と視線が合うとすぐに逸らし、キッチンへと向かいました。その時ポケットに入れてあった携帯電話が震え、メールの着信を告げます。
(2人は石川町近くのホテルに入りました)
私は調査員からのそのメールを複雑な思いで眺めます。妻と村瀬の不倫が露呈し、久美が村瀬と共に私の家に来たときから、私は久美に対して不審なものを感じていました。村瀬が母親のような年齢の妻を愛するというのはわからないでもありません。また、久美のような娘が同年代の男には興味がなく、これも父親のような男に身を任せるというのもあり得ない話ではありません。しかし、その2人が同じ大学で、同じフルートのパートに所属しているというのが偶然にしても出来すぎだと思っていたのです。
- 2014/06/23(月) 00:59:39|
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村瀬と久美がホテルに入ったという報告を聞いても、私はそれほど意外ではありませんでした。少し前から、おそらくそういうことではないかと思っていたのです。
村瀬を裏切るなら5000万円の違約金の連帯保証から久美を外すといったのにもかかわらず、久美がむしろ村瀬が誓約書に違反するような行為を促したのは何故か。久美の立場が、村瀬の妻に対する恋心を単純に応援するというものに過ぎないのなら、これほどのリスクを犯すのはどう見ても不自然です。
村瀬が年上好みだというのは事実でしょう。しかし、久美が同じように年上好みで、村瀬と結婚した後もセックスレスでよいと考えているとは私には信じられませんでした。その思いはミクシイでの3人のやり取りを読んでから確信に変わります。村瀬は気づいていないようでしたが、そこでは明らかに久美の妻に対する嫉妬が現れていました。
久美は村瀬のことを愛しており、自分の方を向いて欲しいと思っていると私は考えました。村瀬の方も妻のことが好きなのは確かですが、久美も嫌いではない、いや、むしろ本当は愛しているのではないかと私は推測します。そうでなければ「最高のパートナー」だとか「彼女なしの人生は考えられない」などとは言いません。
幼いときに母親と別れなければならなくなった村瀬にとって、妻は理想の女性というよりも、母親の代わりのような存在なのでしょう。母親に対する憧憬が深すぎて、村瀬は久美を本当は愛していながら抱くことが出来ない。だから愛しているのは妻で、久美に対する想いは同志愛のようなものだと自分を誤魔化しているのではないでしょうか。
久美は女としての本能的な直感から、村瀬が母親に対する愛情を卒業しない限り、自分を抱くことは出来ないと考えているのではないでしょうか。だから村瀬と妻のことを応援するような行動に出た。しかし内心の嫉妬は抑えられず、時々表面に噴出してしまうといったところではないでしょうか。
その久美にとって、村瀬と妻の接触が6ヶ月間絶たれたことは誤算だったことでしょう。久美としては少しでも早く村瀬を妻から卒業させたいのです。村瀬がある程度妻とのセックスで経験を積み、女の性のあからさまな実態を知ることで母親の幻影から解放されれば、自分の若い肉体で村瀬をひきつける自信があったのでしょう。妻と会えないままではいつまでも村瀬は妻に拘りつづけ、久美の方を向かないでしょう。
リビングのソファで私がそんなことをぼんやり考えていると妻が呼びに来ました。
「お食事の準備が出来ました」
妻は気を使ってか、私の好物を食卓に並べます。しきりに今日会ったことになっている美奈子さんと佐和子さんの話題を口にするのはアリバイ工作をしているつもりでしょうか。私は冷めた気持ちでそれを聞いていました。
妻の作った食事は吐き気がするというほどのことはありませんでしたが、味がほとんど感じられませんでした。
食事が終わる頃、私は妻に向かって言いました。
「風呂から上がったら、何も身につけないで寝室に来い」
「あなた……」
妻の目が驚きに見開かれます。
「俺の言うことは何でも聞くんじゃなかったのか?」
「今日は……」
「生理も終わっただろう。買い物に行ったくらいだから風邪も治ったはずだ」
「わかりました」
妻は覚悟を決めたように頷きます。
私は先に風呂に入る間、妻は食器を片付けます。私は風呂から上がり、寝室で音楽を聴きながら妻が来るのを待ちます。かなり経って寝室の扉が開き、妻が電気を消しました。
「電気はつけたままにしろ」
「でも……」
「久しぶりに香澄の身体をよく見たい。もうすぐ見られなくなるかもしれないからな」
妻はあきらめて電気をつけます。扉の近くで恥ずかしそうに胸と股間を隠している妻に私は声をかけます。
「隠さないで見せろ」
「許して……」
「言うことを聞くはずだったな」
妻は腕を下ろし、素っ裸を私の目の前に晒します。村瀬との情事の痕跡が私に露見することを脅えているのでしょうか。妻の裸身は小刻みに震えているようです。
- 2014/06/23(月) 01:00:23|
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「こっちへ来い」
妻は私に呼ばれるままベッドに身を横たえます。村瀬に抱かれたばかりの身体を見られ続けるよりは、私に抱かれた方が良いと思ったのでしょうか。妻の表情にどことなく安堵の色が浮かんでいました。
私は自分も裸になると妻を抱きしめ、口付けをしました。こんな風に妻を抱いてキスをするのはいつ以来でしょうか。
「ああ……」
キスに弱い妻はたちまち溜息に似た声を洩らします。私はうなじ、胸元、乳首と上から順に妻の身体に優しく接吻を注ぎ込みます。それは村瀬がつけた妻への痕跡を消していくかのようでした。
私は妻の羞恥の箇所はわざと避けると、両足を開かせると内腿を強く吸います。そこは妻の性感帯の一つでした。妻の喘ぎ声が一段と高まります。
(村瀬にはこの場所のことはもう教えてやったのか?)
私はそう胸の中で呟きながらその柔らかい箇所を優しく、そして激しく愛撫します。妻はかなり感じてきたのか荒い息を吐きながら、その両肢はもどかしげに海草のようにゆらゆらと蠢き始めます。
私は顔を上方にずらし、妻の羞恥の部分に口吻を注ぎ込みます。肉襞を甘噛みし、内部に舌を這わせ、唇ですっかり尖った花蕾を吸い上げると妻は「あ、ああっ」と悲鳴のような声をあげ、逞しいまでに実った腰部をブルブルと震わせます。
(村瀬にもこうやってクリニングスをさせて声をあげたのか?)
(尖らせたクリトリスをはしたなく突き出して、吸わせたのか?)
私は妻をぐっと強く抱きしめると、再び口付けをします。今度は妻の舌先を吸い上げ、自らの口の中で弄びます。妻は「うっ、うっ……」と声を上げながら、甘い唾液を私に吸われて行きます。
(村瀬にもそんなうっとりした顔で口を吸わせたのか?)
(こんな風に強く抱かれたのか?)
私は胸の中で妻に問いかけながら愛撫をつづけます。妻はますます気持ちが昂ぶってきたのか「あっ、あっ」とさも切なげな声をあげています。それがまるで私の問いに対する肯定のように思え、私は激しい嫉妬を感じると共に強い欲情を覚えました。
私は妻の身体を支えるようにして自分の体の上に乗せあげます。妻の好きな騎乗位です。妻はすっかり潤った羞恥の箇所を、私の硬化したものに擦り付け始めます。妻が無意識のうちに挿入を求める時の癖です。
(そうやって村瀬のものも求めたのか?)
私は妻の耳元に囁きかけました。
「欲しいのか?」
「……」
「どうなんだ、言ってみろ」
「ください……」
「何が欲しいんだ。ちゃんと言わないか……」
「あなたの……ペニス……」
私は片手で妻の腰部を少し持ち上げると、指を羞恥の部分にあてがい、ぐいぐいと押し込むようにします。
「あ、ああっ!」
ペニスの代わりに二本の指を挿入された妻は悲鳴をあげて私から逃れようとしますが、私はそうはさせじと片腕を妻の背中に回して抱きとめます。
「ああ……そんな……」
妻は指でイかされるのが惨めなのか、さも切なげにすすり泣きますが、火の点いたようになっている身体は止まらないようで、いやらしく腰を振りたてています。私が指先で愛撫しつづけると妻は遂に「い、いきますっ」と声をあげて、絶頂に達しました。
裸身を痙攣させながら快感に浸っている妻を私は優しく抱きしめるともう一度接吻をします。そして起き上がると、ベッドの上にぐったりとうつ伏せになった妻の丸い尻の上に射精します。私の熱いものを肌の上に感じた瞬間、妻は豊満な尻をブルッと震わせました
- 2014/06/23(月) 01:01:18|
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私はタオルをお湯で絞ると妻の身体の汚れた箇所を拭います。
「……どうして抱かなかったのですか?」
「おかしなことを言うな。香澄は」
私は苦笑します。
「お前とはもう一線を超えないと約束しただろう」
「それなら、なぜ……」
「こんなことをするのか、と聞きたいのか?」
「はい……」
私は少し黙った後、口を開きます。
「俺にも良く分からない。なぜなのか、香澄も一緒に考えてくれ」
私はそう言うと横になり、目を閉じました。妻はしばらく起きている気配がしましたが、やがて眠りについたようでした。
私はその後、妻を週に一度のペースで同じように愛撫しました。これまでのように妻が嫌がるような露出的な下着を着せたり、卑猥な格好をさせたり、バイブで弄ぶようなことはなく、私の指と舌を使って何度もイかせ、その後妻の腹か尻の上に射精するのが常でした。妻は私に抱かれるたびに激しく乱れましたが、同時に挿入してもらえないことをもどかしく感じているようでもありました。
村瀬はその後しばらく大人しくしているようでしたが、12月に入ってから再び妻を抱きたいとねだってくるようになりました。妻は最初は拒否していたのですが、久美からも強く頼まれて断れなくなったのか、17日の土曜日に再び村瀬に抱かれました。
そうなってしまうとタガが外れたのか、翌週の土曜日、つまり24日のクリスマスイブにまた村瀬に懇願され、身体を許してしまいました。この両日についても興信所に依頼して証拠写真を撮影したのは言うまでもありません。17日は久美は登場しなかったようですが、24日のイブは、久美は村瀬と妻が別れるのを待ちかねたように現れると、村瀬と共に夜の町に消えていきました。おそらく2人でクリスマスイブを過ごしたのでしょう。
村瀬は私に対して妻と結婚しないまでも一生愛していく、妻が生きている間は妻としかセックスをしない。妻を最後の女性とすると言いました。そんな世迷言を信じたわけではありませんが村瀬の行為は妻に対する裏切りですし、今さらですが誓約書違反でもあります。
村瀬と久美にこういった形で裏切られている妻も気の毒ともいえます。しかし私でも推し量ることが出きる程度の久美の本当の気持ちを、同性である妻が全く気づいていないというのも不自然ではあります。結局私にとって未だにわからないのが妻の本心でした。
ずっと家に寄り付いていなかった2人の息子たちも、さすがに年末年始ともなると帰省します。村瀬と再び会い始めてからは沈んでいた妻の表情も、息子たちが帰ってくるとぱっと明るくなりました。私も妻の不倫のことなどは息子たちの前ではおくびにも出さず、以前と同様、仲の良い夫婦を演じました。
あっという間に三が日が過ぎ、息子たちがそれぞれの勤め先へと帰り、久しぶりに二人になった夜に妻が私に話し掛けました。
「賑やかでしたね。やっぱり家族というものはいいものですわ」
「ああ……」
「これからもお正月はこういう風に、4人で過ごせると良いですね」
「それは無理だな」
私はそっけなく答えます。妻は「えっ」という表情を私に向けます。
「5月になったら俺たちは別れるんだろう。こういった正月は今回でおしまいだ」
「でも……」
妻は一瞬言葉を失ったようですが、しばらくして口を開きます。
「私はあの子達の母親であるということはこれからも変わらない訳ですから、一年に一回くらいは4人で集まっても良いのでは……」
「俺は離婚したら二度と香澄と会うつもりはない」
「えっ……」
「もちろん陽一や栄治が香澄と会いたいというのならそれは自由だ。止めるつもりはない。しかし、俺はその場にはいる気はない」
「……二度と会わないって……陽一や栄治が結婚するときもですか?」
「そうだ。2人が香澄を式や披露宴に呼びたいというのならそれはかまわない。しかし、その場合は俺は出席しない」
- 2014/06/23(月) 01:02:48|
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「そんな……」
「俺は香澄と別れたら、いずれ新しいパートナーを探すつもりだ。香澄もそうしろといってくれただろう」
「はい……」
「仮に2人が俺を結婚式に呼んでくれるのなら俺はその新しいパートナーと一緒に出席したい。今誰か特にあてがあるわけではないが、そういった場合普通は前妻とは顔を合わせたくないだろう。周りからいい笑いものになるのが落ちだ」
妻は悲痛な表情を私に向けます。
「香澄は前に、どうして俺が一線を超えるつもりがないのに自分を抱くのかと聞いたな。俺はその時分からないと答えた」
「はい……」
「今ならその答えが分かる気がする。俺は香澄を忘れようとしているんだ。25年間の夫婦としての記憶、31年間の二人の記憶を自分の中から消し去るために香澄の身体を抱く、しかし、絶対に最後までは行かない。俺はその空しい行為で少しずつ香澄に別れを告げているんだ」
妻は顔を覆って泣き始めました。
「俺は香澄をまだ愛している。香澄も俺のことを嫌いになったわけではないと言った。そんな男と女が別れるというのはそういうことではないのか。互いに未練を残せば、新しいパートナーに対して失礼だ」
「私たちは、良い友達でいられないんですか……」
「それは無理だ」
私は冷たく言い放ちます。
「俺は香澄と良い友達になろうなんて思ったことは一度もない。高校生のときに香澄と始めて出あったとき、香澄のフルートの音色を始めて聞いたときから俺は香澄を自分のものにしたいと思っていた。それはこの30年以上変わっていない」
妻は真っ赤な目を私に向けました。私は何故か唐突に高校1年のとき、妻に部室の裏に呼び出されたときのことを思い出しました。妻が私に転校しなければならないことを告げたときです。あの時の妻の目も真っ赤にはれていました。
「俺は香澄を友達にすることは絶対にない。俺にとっての香澄は恋人か妻でしかない。香澄と別れるからには、俺は香澄は死んだものと思うことにした。死人と会うことは絶対にない」
私はそう言うとダイニングを出ました。妻の泣き声が背後で大きくなるのがわかりました。妻は始めて私と別れることに意味を知ったのかもしれません。
その後、村瀬は相変わらず妻を執拗に誘っていましたが、妻は頑として応えなかったため自然に2人は疎遠になり、妻がミクシイにアクセスすることは何時の間にかなくなっていきました。興信所の調べによると、村瀬と久美のデートの回数は増えてきているようでした。
私は相変わらず妻を抱きますが、決して一線は超えません。妻は私に愛撫されている間は我を忘れたように快感に浸っているようですが、行為が終わると必ず悲しげに声を殺して泣きます。私がその行為によって妻に対して別れを告げていると言ったことが堪えているのでしょう。
2月に入ると村瀬と久美はすっかり恋人同士になったようです。結果的には妻が身体を張ってキューピット役を務めたということでしょうか。バレンタインデーが近づいてきても、村瀬が妻にアプローチすることはありませんでした。村瀬に対する復讐の時期が近づいていることを感じた私は、ある土曜日の夜妻に対して告げました。
「明日の日曜日に、村瀬と久美を呼べ」
「えっ?」
妻は驚いた表情を私に向けます。
「どうしてですか?」
問い掛ける妻に、私は興信所の報告書を三冊テーブルの上に置きました。妻が息を呑むのが分かりました。
「まだ約束の半年まで3ヶ月近く残っているが、そろそろ終わりにしたい」
「あなた……」
「野球でもコールドゲームというのがあるだろう。これだけの証拠が揃っているんだ。おまえ達の負けだ」
「待って、あなた。お願いです……話を聞いて」
「話なら明日、三人が揃ったところで聞く。もっとも言い訳以上の何かが聞けるとも思っていないが」
私はそう言うと立ち上がり、寝室に向かいました。妻はその夜寝室に来ることはありませんでした。
- 2014/06/23(月) 01:04:01|
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次の日曜日の朝9時、村瀬と久美が現れました。リビングのソファに並んで座っている2人とも妻から事前にある程度の事情を聞いているのか、緊張に顔を強張らせています。
妻もまた緊張した顔つきで紅茶のポットとカップを運んできます。私は妻が人数分の紅茶を注ぎ終わるのを確認すると、妻に「そこに座れ」と村瀬たちの隣を指差します。
「君たちに会うのはもう少し先になるかと思っていたが……」
私が話を切り出すと3人ともはっとした顔つきになります。
「3人とも約定違反だ。約束したことは守ってもらう」
村瀬が口惜しげに顔を伏せます。久美は何か言いたげに口を開きかけましたが、私が睨むと村瀬に倣って顔を伏せました。
「村瀬君の分担は5000万円のうち3000万円だ。来週の土曜日までに用意しろ。いいな?」
「あなた、待って。村瀬君は……」
「香澄は黙っていろ。お前には別に話がある」
私に叱咤されて妻は口を噤みます。私は妻が村瀬のことを「真一さん」ではなく、「村瀬君」と呼んでいることに気づきました。
「5000万円は全額僕が用意します」
村瀬は顔を上げると挑戦的な目を私に向けました。
「ですから、香澄さんを自由にしてあげてください」
「夫婦のことに口を出すな」
「ご主人は本来香澄さんのものである2000万円もの財産を取り上げようというのでしょう? その上香澄さんを奴隷のように自分の元に置き続けるつもりですか?」
「香澄をどう扱おうが俺の自由だ。それにこれは香澄が自分で約束したことだ」
「ご主人は金が手に入ればいいのでしょう? その上香澄さんを縛り続けようというのですか?」
「ああ、その通りだ」
私は怒声をあげて村瀬を睨みつけます。
「ぐずぐず言わずに約束どおり金をもってこい。5000万円の金をここに並べることが出来れば君の要求を考えてやってもいい」
「あなたは最低だ!」
村瀬は立ち上がって叫び声を上げます。
「お望みどおり、5000万円叩きつけてやる」
「真一さん……」
久美が村瀬を見上げました。
「心配するな、久美。年末から会社の株価が上がって、僕の持ち株の評価は1億円をはるかに超えている。香澄さんが僕たちのためにしてくれたことを思えば、5000万円くらいどうということはない」
その言葉を聞いた妻は一瞬はっとした表情を村瀬に向け、すぐに顔を伏せました。
村瀬は憤慨しながら帰っていきました。久美はさすがに帰り際、すまなそうに妻に頭を下げましたが、私に対しては詫びの言葉はありませんでした。
2人が帰った後、リビングには私と妻だけが残されます。妻がおずおずと口を開きました。
「あなた……」
「お前との話は、あの2人のことが片付いてからだ」
「ごめんなさい……」
妻は顔を伏せて涙を流し始めます。
「謝らなくてもいい」
「でも……」
「2人で過ごせる時間もあと少しだ。紅茶のお代わりをくれ」
妻は無言でうなずくと、ポットの葉を新しいものに取り替えました。アールグレイの紅茶は妻も私も一番好きなものです。私は妻の啜り泣きを聞きながら、熱く香りのよい紅茶をゆっくりと味わいました。
- 2014/06/24(火) 08:21:46|
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土曜日がやってきました。約束の時間に玄関に現れた村瀬と久美は前回とは人が違ったように沈んでいました。特に村瀬の消沈振りは見る影もないほどです。
「どうした、突っ立っていないで入れ」
私は2人をリビングに招き入れます。村瀬と久美がいつまでも立っているので、私は「座れ」とソファを指差します。妻が心配そうに2人の様子を見ています。
「金は持ってきたのか?」
村瀬の顔は青ざめ、唇が小さく震えています。
「持ってきていないのか?」
「……」
「どうした、黙っていてはわからない」
村瀬はいきなり「申し訳ありません!」と叫ぶような声を上げると、床の上に土下座をしました。
「何の真似だ?」
「……」
「株は売れなかったのか?」
「……はい」
村瀬は蚊の鳴くような声で答えました。紅茶のカップを乗せたトレイを手に持ったままの妻がため息のような声を上げました。私の視線に気づいた久美があわてて村瀬の隣に土下座をします。
「……そうだろう」
私の言葉に村瀬が顔を上げました。
「父親に叱られたんじゃないか?」
「なぜそれを……」
「簡単なことだ」
私は静かな口調で話し始めます。
「父親が君に対してなぜ株を渡したのか、君はまったくその意味がわかっていない。おおかた財産の前払いか何かだと、安易に考えていたのではないか?」
村瀬は顔を引きつらせたまま私の言葉を聞いています。
「君の父親の会社は2年前に公開したばかりといったな。少し調べさせてもらったが、まだまだ成長していく会社のようだ。これからもたくさんの資金が必要だろう。その場合、株式市場から調達、要するに会社が新しい株式を発行して個人などの投資家に株を買ってもらう必要がある」
「そんな会社の経営者が自分の息子に株を渡して、そいつが人妻と不倫をはたらき、慰謝料を払うために株を売ったなどということがわかればいったいどうなると思う? そんな馬鹿な理由で経営者の息子が売る株を掴まされる投資家こそいい面の皮だ」
「また、君の父親は当分の間は自分が会社のトップを勤めるつもりだろうし、将来は出来れば君を後継者にとも考えているかもしれない。そんな経営者が自分や自分の家族の持ち株を売ることを認めるなどということはありえない」
村瀬の肩の震えがだんだん大きくなってきます。
「だいたい、君の父親の会社の株がどうしてそんなに上がったのか、その理由がわかっているのか」
村瀬と久美が同時に顔を上げました。
「君の父親や父親の会社の従業員が死に物狂いで働き、長い時間をかけてお客に商品が認められ、他の会社との激しい競争に勝ち抜いてきたことの結果だ。その汗の結晶を君はどぶに捨てるような使い方をしようとしている」
「君の父親が君に株を持たせたのは、経営の厳しさとは何か、経営者の心構えとは何か、会社の価値と株とは何か、また生きていくうえでのお金の持つ意味とは何かを教えたかったからじゃないのか」
「父からも……同じようなことを言われました」
村瀬はそう言うと再び深々と頭を下げました。
「申し訳ありません!」
「金が用意できなかったことを謝っているのなら、その必要はない
- 2014/06/24(火) 08:22:58|
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私は再び静かな声で話します。
「いくらなら用意できるんだ?」
「二百万なら……」
「それは君の貯金か。さすがR大の学生だ。結構貯めているな」
村瀬と久美は身を縮めるように私の言葉を聞いています。
「今すぐ学生向けの消費者金融を回って来い。200万くらいは借りられるだろう。残りの4600万円は借用書でいい。約束どおり久美が連帯保証をしろ。俺も鬼じゃないから金利は利息制限法上限の15%にしておいてやる」
村瀬と久美は愕然とした顔を私に向けました。
「金利だけで月57万5千円になるな。元金の返済込みで100万円以上、これを毎月末に払え」
「ぼ、僕は学生です。そんなには払えません……」
村瀬は顔を引きつらせています。久美も真っ青な顔を私に向けています。
「そんなことは俺は知らん。5000万円払うと啖呵を切ったのは君だろう」
私は冷たく突き放します。
「一度でも遅れると、借用書を債権回収業者に売り払う。連中の取立てはきついぞ。村瀬君には臓器を売れとか、久美さんにはソープに沈めるとか言ってくるだろうな」
「許してくださいっ!」
村瀬と久美は震え上がって頭を床に擦り付けます。
「謝る時期が間違っているんじゃないのか。どうして前回、自分たちが約束を破ったときに謝らなかった?」
「……それは」
「君たちは今日いきなり土下座をした。金が用意できなかったことを謝ることはできるのに、どうして人の心を傷つけたことは謝れない?」
久美は村瀬の隣で身体を強張らせていましたが、顔を上げるとすがるような目を私に向けました。
「……私も払います。自分の貯金と、お金を借りて真一さんとあわせて500万は払います。ですから、サラ金なんて恐ろしいことは……」
「まだわからないのかっ!」
私はそれまで出来るだけ穏やかに話そうとしていましたが、この久美の言葉で激高します。妻が手にもったトレイを音を立てて置くと、久美の隣に並んで土下座しました。
「あなた、許して、私が、全部私が悪いんです。私の財産はみんなあなたにお渡しします。これからずっとあなたの言うとおりにお仕えします。ですから、ですから、2人を許してあげてください」
「先生、駄目っ!」
久美がわっと泣き出しました。
「本当は私なんです。私が悪いんです。私が先生にお願いしたんです。ご主人、ごめんなさい。私、なんでもします。なんでもしますから先生と真一さんを許してあげてくださいっ」
妻と久美は互いに手を取り合うように、わあわあ声を上げて泣き始めます。村瀬は土下座したまま拳を握り締め、涙を流しています。私はそんな3人の姿を見ながら、なぜかたまらない寂寥感がこみ上げてくるのを感じていました。
村瀬と久美が帰った後、私と妻はリビングで向かい合って座っていました。妻の目は泣いたせいか、真っ赤に腫れています。
「あなた、本当にごめんなさい。私が悪かったです」
「……許してくれとは言わないのか」
「私から言うことは出来ません。それだけのことをあなたにしてしまった訳ですから。いまさら償いと言っても遅いでしょうが、何でもしますから言ってください」
妻は頭を下げて、私の言葉を待っています。私はやがて口を開きました。
「離婚してくれ」
妻の肩先が一瞬震えました。
「……わかりました」
- 2014/06/24(火) 08:24:21|
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私たちの離婚が成立し、妻が家を出て行ってから2カ月以上の時が経ちました。5月に入ったばかりのある日、企画課の加藤有花が私のデスクにやって来ました。
「社長、お客様です」
「社長はやめろと言っただろう」
「何を言っているんですか。今月からは本当に社長でしょう」
そうでした。あれから社長のヘルニアは思わしくなく、5月1日付で社長は会長に就任するとともに、私が後任の社長となったのです。
「午前中は約束はなかったはずだか」
「村瀬さんという方です」
「村瀬?」
私は顔を上げます。
「社長と同じくらいの年齢ですよ。ご存じないのですか」
「ないな……いや、やっぱりあるかな」
「どっちなんですか、もう。A応接にお通ししています」
私が応接に入ると、村瀬と名乗る男は立ったまま私を迎え、深々とお辞儀をすると名刺を差し出しました。
「エムファクトリイの村瀬です」
「渡辺です。どうぞおかけください」
「失礼します」
男は座るなり、いきなりテーブルに擦りつけんばかりに頭を下げました。
「渡辺さん、私の息子が渡辺さんに対してとんでもないことを致しました。どうか、お許しください」
私はしばらく呆気に取られて村瀬の父親を眺めていましたが、やがて口を開きます。
「村瀬さん、頭を上げてください」
「息子の躾を間違いました。母親がいないからとつい甘くなって……渡辺さんに大変なご迷惑をおかけしました」
「村瀬さんのせいじゃありません。お願いですから頭を上げてください」
村瀬の父親はようやく頭を上げます。
「私は渡辺さんがなさったことは至極まっとうなことだと思います。大人は自分の発言に責任をもたなければなりません。息子が5000万円払うと言ったのですから払わせるのは当然です」
「それは……」
「息子の話だと、最初に息子と久美さんが貯金をはたいて400万円を払い、その後毎月100万円ずつお支払いすることになっているとか」
「そうです、昨日2回目の入金をしてもらいました」
私は頷きます。
「私は今回の件では一切金銭的な援助をしておりません。息子と久美さんが蒔いた種ですから、自分で刈り取らせるのが筋です。しかし、学生2人で月100万円の金を稼ぐのは至難の業です。息子はいくつもバイトを掛け持ちし、久美さんは夜の仕事までしているそうです」
「そうですか……」
村瀬と久美が自分で汗を流して金を作っているとは少々意外でした。
「しかしあのままだといずれ身体が保たなくなり、支払いが滞る日がくると思います。馬鹿な息子たちですが、やくざな金融業者に追い込みをかけられるのをさすがに親としては黙って見ている訳にはいきません」
「それはそうでしょうね」
村瀬の父親はその私の言葉にすがるように続けます。
「そこで勝手なお願いですが、もしも支払いが滞ったら、息子の借用書を回収業者に売る前に私に買い取らせてはいただけませんか? もちろん元本の残高全額をお支払いします。渡辺さんが息子や久美さんを恨む気持ちはわかるつもりですが、なにとぞ馬鹿な親の頼みを聞いてください」
村瀬の父親は再び頭を下げます。
「村瀬さん……もう私には恨みはありません」
私は机の中から村瀬が書いた借用書を取り出しました。
- 2014/06/24(火) 08:25:25|
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「これはもう必要ありません。彼に渡してください」
「しかし……」
私は借用書を村瀬の父親の手に押し付けるようにしました。
「私にも2人の息子がいます。村瀬さんの気持ちは判ります」
「……ありがとうございます」
村瀬の父親は借用書を受け取ると、何度も頭を下げます。
「渡辺さんは息子に、本来私が教えなければいけないことを教えてくれました。この恩は決して忘れません。もし私に出来ることがあれば何でもおっしゃってください」
村瀬の父親はもう一度深々とお辞儀をすると帰って行きました。デスクに戻った私に加藤が声をかけます。
「どうしたんですか、社長。ぼんやりしちゃって」
「お前のそのタメ口はどうにかならないのか」
「気にしない、気にしない。私と社長、マイミク同士じゃないですか」
加藤はそう言うとケラケラ笑います。
「ところでさっきのお客様、誰ですか」
「エムファクトリイの村瀬社長だ」
「ええ、そうなんですか。あそこのギフト、女の子に人気が有るんですよ。うちでも扱えないかなあ」
「可能性はあるな。バイヤーに話してくれ。俺が話をつなぐよ」
「わかりました。ところで、その村瀬社長って人、社長に似てましたね」
加藤が急に声を潜めるように言います。
「どこがだ?」
「どこがって……全体の雰囲気って言うか……」
「そうかな」
「似てると思うんだけどな」
加藤がいつものように瞳をクルクルさせながら首をひねります。
「そういえば社長、ミクシイ全然やってないですね」
「ああ」
妻と村瀬たちとのやり取りを覗いたのが嫌な思い出となっており、妻と別れて以来一度もアクセスしてことがありませんでした。
「時々社長のページ、見に行くんですがいつまでたってもマイミクは私一人。あれじゃあ面白くないですよ」
「そうだな」
「今度私が一人紹介しますよ。マイミクになってあげて下さい」
「なぜ俺がそんなことをしなきゃならない」
私は気のない返事をします。
「色々と教えてあげたじゃないですか。その借りを返してください」
「あれが借りなのか? まあ、気が向いたらな」
きっときっとですよ、と歌うように言いながら加藤はようやく自分のデスクへと戻ります。一体何の用があったのかさっぱりわかりません。
帰宅すると私は加藤から言われたことを思い出し、久しぶりに家のPCを立ち上げました。妻が使っていたノートPCです。
PCはフルート教室の生徒の管理や、楽譜の作成などにも使うこともあるから持って行くようにと言ったのですが、妻は身の回りのものと愛用のフルート以外はすべて置いて行くと言って聞きませんでした。
受信フォルダに一通のメールが届いていました。差出人は「香澄」。離婚した妻からのマイミクの招待状です。
「ヨーコさんがゆかりんさんのページを探し出し、ゆかりんさんがあなたのページを教えてくれました。あなたは私と友人になることはないとおっしゃいましたが、せめてネット上の存在である『香澄』とならマイミクになっていただけませんか。もしこのメールが不愉快ならば申し訳ございませんが、削除してください」
私は少し考えて香澄の申し出を承諾しました。私の「マイミク」のリストが「ゆかりん」と「香澄」の2人になります
- 2014/06/24(火) 08:26:42|
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私は「香澄」のページにアクセスします。香澄のマイミクは私一人です。もともと誰かの招待がないとページは作れないはずですが、香澄はおそらく「かすみん」として登録していた自分自身で「香澄」を招待し、「かすみん」名義の方は退会したのではないかと思います。そこには村瀬や久美との関係を断ち切る意図があったのかも知れません。
そこには簡単なプロフィールと日記だけが置かれてあり、コミュニティの登録などはありません。私は香澄の日記の最初の記事をクリックしました。
「あなたへ」
1行目の文字が飛び込んで来た時、私はなぜかとても懐かしいものを見たような気がしました。私は香澄の日記を読み続けます。
「あなたへ
いつか読んでもらえる日が来るかもしれないと思い、あなたへのお手紙を書くことにしました。パソコンは置いて来ましたので今は美奈子のものを借りて書いています。ミクシイというのは本当に便利ですね。
あなたは香澄が死んだものと思うとおっしゃいました。死人からの手紙を読まされるのは気分の良いものではないかも知れません。不快に思われたら申し訳なく思います。
それでもこうやってお手紙を書いているのは、私があなたに、村瀬君とのことをきちんと説明出来ないままだったからです。これから新たな生活を始めようとされているあなたにとっては今更聞いたところで不愉快なだけかも知れませんね。どうか私の最後の我儘だと思ってどうかお許しください。
それと始めにお断りして置きますが、これは遺書ではありません。これ以上馬鹿なことをしてあなたにご迷惑をおかけする積もりもありませんので、どうかその点はご心配なさらないでください。
私が村瀬君とどうしてあのような関係になったのか、最初は自分でも分かりませんでした。あなたのことを愛していたのは事実です。以前あなたから聞かれた時、村瀬君とのことは恋ではないと言ったことがあります。あれも私の本当の気持ちなのです。
家を出てからアパートに落ち着くまで、美奈子や佐和子のお世話になったので、2人には今回のことは話しました。案の定とても叱られてしまいましたが。
美奈子や佐和子は陽一と栄治が独立した寂しさから、母性の行き場を求めたのではないかと言ってくれました。確かにそういう理由もあったのかも知れませんが、それだけではありません。
私は目の前に迫って来る老いが怖かったのだと思います。私ももうすぐ50です。あと何年あなたは私のことを女と見てくれるだろうかと、訳もなく不安になりました。そんな時に、無条件の憧憬を捧げてくれる若い村瀬君に惹かれたというのが私の本心だと思います。昨年の5月の連休に、久美さんと一緒とはいえ村瀬君と一緒に旅行するということに、私は確かにうきうきしていました。
村瀬君がただの若い男というだけでは私はこれ程は惹かれず、また仮にそうなったとしても肉体関係を結ぶなどと言うことは決してなかったと思います。5月の旅行で突然村瀬君と2人きりになってしまい、それが久美さんの計画だと知った時、私はその場で帰るつもりでした。
ただ久美さんから理由を聞かされ、旅行を続けることを懇願され、そして私が半ば恐れ半ば期待したようにその夜村瀬君から身体を求められた時に許してしまったのは私なりの理由があるのです。
あなたは否定するかも知れませんが、村瀬君は昔のあなたにとても良く似ています。顔のどこがどう似ているという訳ではないのですが、全体の雰囲気や話し方が学生時代のあなたを思わせます。自信家で負けず嫌いなところ、我儘で理屈っぽいところ、そしてとても優しいところ、あなたにそっくりなのです。
その気持ちをより深く持ったのは村瀬君のフルートの音色でした。村瀬君は私に認められたいと懸命に練習し、ロングトーンや音階などの退屈な基礎練習を必死でこなしました。そうやってみるみる上達して行く姿や、そのフルートの澄んだ空気のような音が、昔のあなたにそっくりでした。
あなたは昔、私が住む日本海の近くの町に来てくれた時、2人で蜃気楼を見に行ったことを覚えていますか。とても美しくて不思議な海上の浮き島に見とれる私に、あなたは蜃気楼がどうして出来るのか教えてくれました。
蜃気楼は空気の状態の加減で光が屈折し、遠くの風景がすぐ近くにあるように見える。私は遠くにある実態を幻のように見ているのだと。
- 2014/06/24(火) 08:27:38|
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WR 1/30(火) 13:18:48 No.20070130131848 削除
私はあのころあなたと今で言う遠距離恋愛を続けていました。あなたには平気な顔をしていましたが毎日がとても苦しい日々でした。あなたが身近にいる、私以外の女の子に気を移すのではないかと理由もない不安にさいなまれました。
そんな女の醜さをあなたには見せないようにしていましたが、あなたが電話や手紙で何気なくサークルの女の子の話題に触れると、嫉妬にこの身が焼けるような思いでした。
私にとってあの頃のあなたは、実態が見えない蜃気楼のようでした。でも、2人で海辺に立ち不思議な風景を眺めながらあなたが私の手を取ってくれたときは、あなたは幻ではなくて確かにここに存在しているのだと思えたのです。
久美さんが母親からの呪縛から離れられない村瀬君のことを思い、見えない母親の影に嫉妬して苦しんでいる姿はまるで昔の私を見るようでした。あなたにとって久美さんはとても腹立たしい存在でしょうね。だけど、私がもし彼女の立場に立ったなら、彼女と同じことをしなかったとはいえないのです。どうか彼女を許してあげてください。
私にとって村瀬君は、遠い昔のあなたを幻のように見ている蜃気楼だったのかも知れません。だけど私は蜃気楼には必ず実態があることを忘れていました。近くにいて私を愛し、支えてくれるあなたを忘れて、私はいつまでも蜃気楼に見とれていたのです。
私は今、自分のしたことの愚かさ、罪深さに身が震えるような思いです。あなたに会いたくてたまらない私がいます。だけどあなたが身を削るような思いをしながら私のことを忘れようとしているのに、私があなたに縋るのはさらに罪深いことでしょう。
それなのにあなたがいつか読んでくれると思いながら私はこの日記を書き、ヨーコさんが山のようなミクシイの会員からあなたの知り合いを探してくれることに頼り、ゆかりんさんがあなたを信頼している部下だと知って勝手なお願いをしました。私はやはりずるい女です。
あなたが言ってくれた「香澄は自分にとって、妻か恋人でしかありえない」という言葉の重みを、私は今改めて噛み締めています。私にとってもあなたは夫か恋人でしかありえません。お身体に気をつけて、いつまでもお元気でいてください。
香澄」
私は香澄からの手紙を何度も読み返しました。最初に感じたのは、高校時代に香澄から転校の話を聞いた後の「香澄がいなくなる」という胸が締め付けられるような思いでした。
結局私がわかったことは、死んでいないものを、死んだものだとはどうしても考えられないということです。香澄が私とこの地上で生きている、同じ空を見上げ、同じ空気を吸っている。そのことが私をたまらない気持ちにさせます。それは苦しみとは違います。私の心と身体の半分が引き裂かれて、互いに半身を求めているような気がするのです。
私はしまいっぱなしにしているフルートを取り出しました。汚れを取り、表面を磨き、キーに油を差すと吹ける状態になりました。頭部管に口を当てて吹くと何とか音は出ますが思ったような音色ではありません。私はフルートを組み立て、ゆっくりロングトーンの練習を始めました。
それから一週間ほど経ったある日の夜、私は都内のあるターミナル駅前にある音楽教室に向かっていました。そこには香澄が講師を務めているフルートの教室があります。
私が部屋に入ったとき、ちょうどレッスンが終わったばかりで、香澄は最後に残った生徒の質問を受けていました。香澄は私が入ってきたのにも気づかず、熱心に指導をしています。ようやくその生徒がぺこりと頭を下げて指導は終わります。優しげな微笑を浮かべながら生徒を見送った香澄と私の目が合いました。
「あなた……」
香澄の目が驚きに見開かれます。
「手紙を読んだ」
「……ありがとうございます」
香澄は少し恥ずかしげに目を伏せます。
「香澄、俺からも言い忘れていたことがあった。聞いてくれるか」
「……はい」
「俺にとっての香澄は恋人か妻でしかないと言ったが、一つ忘れていたことがあった。香澄は俺のフルートの先生だった」
伏せたままの香澄の睫毛がかすかに震えました。
「俺はまたフルートの練習を始めることにした。だが、俺は忙しいから、教室に通う時間がない。それに折角作った防音室の使い道がなくて困っているから、通いで個人レッスンをしてくれる先生を探している」
香澄は私の顔を見ながら首を傾げます。
「半年前に香澄は俺と約束をしたな。俺の言うことは何でも聞くと。あの約束はまだ生きているか?」
香澄はこっくりと頷きました。
「それじゃあ早速打ち合わせをしたい。時間はあるか?」
「はい」
再び香澄が頷くのを確認して私は教室を出ると、駅に向かって歩き出します。香澄は特に小柄というわけではありませんが、180センチを超える私とはかなり身長差があります。大きな歩幅で歩く私に香澄は懸命に着いてきました。
(了)
ご愛読ありがとうございました。応援・感想BBSでたくさんのメッセージをいただいたことに深く感謝いたします。ひとつひとつにレスが出来なかったことをお詫びいたします。
- 2014/06/24(火) 08:28:57|
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